希望は砕かれた 野中章弘(10月31日午後9時)
今朝、香田さんの死が確認されました。無念です。武装勢力へは彼の解放を訴える人々の必死の願いも届かなかったようです。
いま香田さんを殺害した武装勢力への怒りを抑えることはできません。これは非道な殺人であり、人間性の全面的な破壊を意味する行為です。いかなる形でも絶対に容認すべきではありません。この行為のどこにイスラムの「大義」があるというのでしょうか。
命を踏みにじる行為は武装勢力だけではありません。いまもイラクやアフガニスタンで米軍により多くの民間人の命が奪われていることを思えば、国家による殺人もまたテロと言わねばなりません。「対テロ戦争」で殺害されたイラクの民間人の数はすでに数万人にのぼるかもしれません。米国は米軍の空爆による犠牲者を「necessary cost(やむをえない犠牲)」と呼びました。死んでいった人々はいったい何のための「犠牲」となったのでしょうか。
「テロを行う側」と「対テロ戦争を行う側」の双方に人間の生命を軽視する思想を感じます。そのような思想の退廃はどこからきたのでしょうか。
日本および日本人は、米国の戦争を支持するかぎりにおいて、アフガニスタン、イラクで失われた人命に対して責任を有しています。「加害の側には立たない」という日本人の決意は、いつから崩れてしまったのでしょうか。私たちはそれでほんとうに悔いを残さないといえるのでしょうか。
むき出しの暴力に支配されたイラクの状況をみれば、米国と一体化した日本はもう「平和主義」を唱える資格を失ってしまったということです。私たちはほんとうにそれでいいのでしょうか。
香田さんの非業の死が問いかけるものは限りなく重いのです。
香田さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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