通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
野中様
今日2月8日からようやく国際電話・インターネットともに通じるようになりました。ここ1週間は、この21世紀に本当に信じられないことですが、一人の人間の意思により、まるで国全体が牢獄になったような状況にありました。電話がほとんど通じないなかで、あちこち回って集めた情報と、身の回りで起こったことを簡単に記したいと思います。
2月1日(火曜日)
この日の各紙のトップニュースの一つは、デウバ首相が昨夜、ギャネンドラ国王に召還されて王室に行ったというものだった。首相とは別に、王室ネパール軍、武装警察隊、ネパール警察、特別警察の各トップも呼ばれて、「高度な警戒態勢に入るように」という指示を与えられたという記事を掲載した日刊紙もあった。こうした記事の内容から、多くの人はデウバ首相が再び解任されるのだと予測した。しかも、これまでの時と異なり、今回は国王に呼ばれたのが現首相と治安関係者だけだったことから、国王が自分で出てくるであろうことも予測できた。
こうしたなか、テレビをつけると、「午前10時から国王の大事なメッセージが放送される」というテロップが流れていた。放送は知らされた時間どおりに始まった。国王は非常に厳しい顔つきで約30分におよぶ演説を始めた。その内容は、反政府武装勢力のマオイストよりもむしろ、1990年民主化後に政治活動の自由を得た政党を非常に厳しく批判するもので、「政治を司る者は国民の厚生に対して目を開こうとしなかった」「権力のために権威を悪用し、個人的な興味を満たすために国と国民を犠牲にした」と、政党政治家全般を厳しい言葉を使って非難するものだった。そして、「(政党政治家たちが)パワー政治にのみ専念したために、複数政党制民主主義に対する信用が失われた」と決めつけた。
そして、国王は自らが新政府を率いることを宣言し、「3年以内に平和と治安を取り戻して、効果的な改善を実行し、複数政党制民主主義を復活させることを最大のプライオリティとする」と約した。さらに、マオイストに関しては「テロリスト」「犯罪者」という呼び名を使って、これから彼らに対する軍事制圧を徹底強化させる方針を示唆するとともに、国民に対して、治安部隊への協力を呼びかけた。
国王が十分な準備と決心をもって、この宣言をしていることは、彼の顔つきからも言葉からもはっきりと読み取ることができた。
驚いたのは、宣言が終わってすぐに、ニュースを知らせようと思い、電話の受話器をとったときだった。家にある2本の電話は、両方とも受話器をとるとすぐに話し中の音が聞こえた。携帯電話を使おうとすると、「no network」のメッセージが出ている。このとき、頭に浮かんだのは、マオイストの取材をしてきたことから、だいぶ前から官憲から目をつけられてきたこともあり、私の電話だけ切られたのだということだった。
このあとすぐに、外の様子を見るために、ラトナ公園に向かった。ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)の学生組織ANNFSUのオフィスがある建物を見ると、赤い共産党の旗とともに、国王派のシンボルである国旗が立っているのが見えた。トリチャンドラ・キャンパス前にはすでに武装警察隊がおり、その先の王宮前広場にはトラックに乗った王室ネパール軍の兵士が大勢いた。しかし、市民の動きは普段通りで、人手や車の動きは、むしろいつもよりも多いように感じた。ここに来て、どうやら電話は全回線が切られたらしいということがわかった。
一体、どうなっているのか、友人の記者から情報を得ようと、午後1時、最大発行部数を誇る日刊紙「Kantipur」のオフィスへ行くと、門の前に数人の軍兵士が、さらに、入り口に兵士が1人いるのを見た。あとでわかったのだが、国王の宣言直後に、王室ネパール軍の少佐1人と大尉2人を含めた10数人の兵士が同オフィスを訪れ、ただちに報道規制を始めることを告げたのだった。4階にある同紙の編集室へ行くと、編集長と発行者が王室に召還されて行ったところだった。デスクを務める友人から、政党の党首はすでに全員が自宅監禁下に置かれ、何人かの政党リーダーは軍に拘束されて連行されたことがわかった。
解任されたデウバ内閣で副首相を務めたUMLのバラト・モハン・アディカリ副首相や、ネパール会議派のナラハリ・アチャルヤらがマハラジガンジにあるポリス・アカデミーに拘留されたと聞いて、マハラジガンジに行った。しかし、ポリス・アカデミー前には記者もおらず、いつもとまったく変わらない様子だった。(あとでわかったことですが、リーダーたちのほとんどはハルチョークにある武装警察隊本部に拘留されていました。)ただ、その前にある軍の「ナンバー2・ガン(第2大隊)」兵舎に、ぎっしりと兵士が乗った何台ものトラックとバスが入っていくのを見た。どうやら、地方から首都圏に大勢の兵士が呼び戻されたようだった。この事実からも、国王が首都圏を徹底的に治安部隊のコントロール下に置くつもりであることがわかった。
このあと、誰が拘束されたのかを確かめるために、バルクーにあるUMLの本部へ向かった。エンジニアリング・キャンパスがあるプルチョーク前に通ると、武装警察隊と軍兵士が道路を完全閉鎖していた。少し前にこのキャンパスの学生が抗議のためのデモを出したものの、すぐに制圧されたと聞いた。このとき、午後4時をすぎていたのだが、外出禁止令が出るという噂のためか、道路で見かける車と人の数はぐっと減っていた。UMLの本部建物のドアはすでに閉められており、玄関横にある事務室に行くと、知り合いの党員がいた。彼の話により、国王の宣言が始まる2時間前に常備委員会メンバーのアムリト・クマール・ボハラが自宅監禁下に置かれ、その後、マダフ・クマール・ネパール総書記も宣言が始まる前に自宅監禁下に置かれたことがわかった。同党スポークスマンのプラディプ・ネパールは党本部から連行されていかれたこともわかった。他に同党幹部の数人が自宅監禁下に置かれるか拘束されたことがわかったが、何しろ、電話が通じないことから、確認がとれないでいるようだった。
すでに、夕方となり、暗くなりかけていたが、無事か否か心配で、どうしても確かめたい人がおり、王宮裏にあるラジンパトに行くことにした。それは、マオイストと政府との仲介役をしてきた著名な人権活動家でもあるパドマ・ラトナ・トゥラダル氏だ。真っ先に拘束されるにちがいないと思ったのだが、彼の自宅を訪れると無事だった。予測された治安部隊もおらず、静かな自宅で彼自身、「覚悟していたのに拘束されなかった」と話していた。カトマンズ在住のほとんどの外交官とも接触がある氏は、「つい先ほど、英国大使館のセクレタリーがここに来て、国王の動きに対する懸念を示していた」ことを明らかにした。
外を走る車もかなり少なくなっており、家に戻るとすでに暗くなっていた。テレビをつけると、全国で無期限のあいだ「国家非常事態宣言」を発令したこと。憲法にある「発言の自由」「報道・出版の自由」「平和的集会の自由」「移動の自由」などの権利、「プライバシーの権利」などが停止されたとニュースで伝えていた。BBCテレビを見ると、カトマンズに乗り入れる国際線飛行機の便もすべてキャンセルされていることがわかった。カトマンズの西にあるカトマンズ盆地の玄関口であるタンコットでは、盆地から外に向かう車が止められているとも聞いた。
午後8時45分から始まる30分間のBBCネパール語放送を聴くと、電話通信が切れる直前にとったUMLのネパール総書記の英語インタビューと、ジャーナリストのカナック・マニ・ディチット、そして、ネパール会議派のスシル・コイララ幹事長のインタビューが放送された。ディチットのインタビューは、カトマンズの某外交機関の通信を通じて、ネパールガンジにいたコイララ幹事長のインタビューは、BBCのネパールガンジ通信員であるネトラK.C.がインド側に出て送ったものだった。ネパール総書記がインタビューのなかで、「これはクーデターだ」と叫ぶように言っていたのが印象に残った。
それにしても、大変なことが起こったという印象だった。国王が近い将来、「事を起こすだろう」ということは大勢の人が予測していたが、これほど極端な方法で事を運ぶとは、私も含めたほとんどの人が予測していなかった。この日起こったさまざまな事から、国王はこのクーデターをかなり前から計画し準備していたことは明らかだ。1990年に民主化を経験し、15年間、自由を謳歌したネパールは再び「暗黒の時代」に入ったことになる。とりあえず、直接の大打撃を受けたのは、この15年間に最も自由を謳歌した政党の人間とメディアの人間だった。