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速報
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ネパール 非常事態宣言! 小倉清子の緊急手記 第3回(05/02/16)
 2月1日、ギャネンドラ国王が非常事態宣言を発し、全権を掌握したネパール。国際電話、インターネットなどの通信は遮断され、カトマンズ在住の小倉清子との連絡も途絶えた。2月8日、ようやく通信が復活。
 通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。


2月10日(木曜日)
 内務省は、自宅監禁下に置かれていた7人の政党リーダー、クリシュナ・プラサド・バッタライ元首相、ロケンドラ・バハドゥル・チャンダ元首相、パシュパティ・シャムシェル・ラナ国民民主党党首、UMLのサハナ・プラダン女史、ネパール・サドババナ党のバドリ・プラサド・マンダル党首、同党アナンダ・デビ派のアナンダ・デビ・シン党首、ネパール労働者農民党の党首ナラヤン・マン・ビジュクチェ氏を解放したことを明らかにした。

 午後1時、昨日拘束されたクリシュナ・パハリ氏の「人権と平和の会」主催の抗議デモが出ると聞いて、ポタリサラクへ行く。2月1日の“政変”後、前もって宣言した初めての抗議デモとあって、正午すぎから、すでに大勢の警官隊が周辺をかためていた。外国人ジャーナリストもかなりの数に上る。1時になる前にすでに3人の人権活動家が拘束されていた。1時になると、道路の西側歩道から1人の人権活動家が出てきて、すぐに警官に囲まれバンに連行されていった。5分ほどの時間を置いて、1人か2人ずつ、黒旗やバナーをもって出てくるが、50メートルと歩かないうちに警官に囲まれ逮捕される。そのたびにカメラを持ったジャーナリストの群れが後を追う。結局、11人の活動家すべてが逮捕された。このなかには「人権と平和の会」の副会長スレシュ・チャンドラ・ポカレルも含まれていた。1990年の民主化運動のときにも、運動開始当初は今日と同じような状況だった。警官と記者の数がデモ隊の数を圧倒的に凌いでいた。

 インド大使館は今日、声明を出して、ネパール駐在インド大使ムケルジ氏が昨日、ギャネンドラ国王と会見したことを明らかにした。インド大使は国王に対して、民主的なプロセスをなるべく早く復活させること、拘束されている政党リーダーを釈放して、政党側と協力関係を築くよう要求したという。

 インド政府と対照的な態度を示しているのがパキスタン政府だ。パキスタン大使は今日、「カシミール団結の日」にちなんで、カトマンズ市内で開かれたプログラムで、今回の政変が「ネパールの内政である」とする見解を繰り返すとともに、SAARCサミットの欠席を決めたインド政府を非難した。これまでに「内政干渉はしない」とする態度を示した国は3つある。中国とパキスタン、ロシアである。

 昨夜、西ネパールのカイラリ郡ダンガリ市の刑務所をマオイストが襲撃した。“政変”後初めての襲撃である。マオイストは囚人168人を解放し、このうちのほとんどを連れ去ったと伝えられている。このなかには、マオイストが以前から釈放を要求していたマオイスト中央委員の「ヒマール」ことティラック・シャルマも含まれていたようだ。政府側は襲撃で死亡した警官の数を5人としたが、BBCネパール語放送にマオイストの人民解放軍西師団コマンダーが送った声明によると、警官19人と軍兵士3人、マオイスト3人が死亡したという。


2月11日(金曜日)
 「午後4時ちょうど、ニューロードのピパルボート(菩提樹)からUMLによるデモが出る」と、昨日、UMLの某リーダーから聞いた。1日の政変後、政党による初めてのデモだ。30分ほど前にニューロードに行くが、昨日と違って、ピパルボートの周辺にはジャーナリストらしき人もいないし、警官隊もそれほど多くない。付近をぶらぶらして、4時5分前に再びピパルボートの前に行くと、顔見知りの記者何人かが写真店の角に集まっているのを見た。ネパールメディアは誰もおらず、全員がBBCやロイターなどの海外メディアの記者だった。昨日のデモに比べるとジャーナリストの数は圧倒的に少ない。限られたメディアにだけ知らせたようだった。しかし、警官の数は先ほどに比べて増えていた。カメラをもった記者の姿を見て、加勢したようだ。
 ちょうど午後4時になると、「場所が変更になった。アサンへ移動しろ」という伝言が伝わった。すぐに駆け足でアサンのほうに向かう。大きなカメラを抱えた記者もおり、警官にも変更がすぐにわかったようだ。彼らもわれわれの後を付いてくる。夕方、買い物客でにぎわうアサンはまっすぐ歩くこともできないほどの人ごみだ。どこからデモが出てくるのだろうと周囲を見回していると、再度、「北へ移動しろ」という伝言が伝わった。また、ぞろぞろとタメルの方へ抜ける小路を北へ行く。道が3つに分かれるチョークでしばらく待っていると、10人ほどの警官隊が追いついた。  さらに20分ほど待ち、「警官隊が来たから、もう無理だろう」と話していたときだった。タメルの方角に人ごみが移動するのが見えた。警官隊もそっちに走っていく。30人ほどのデモが出たものの、3種のパンフレットをまいて、スローガンをあげたあと、デモ隊はすぐに散り散りになってしまった。警官隊はデモ隊のなかの3人を拘束。車が置いてあるボタヒティまで連行するあいだ、カメラをもった記者が後を追う。デモが出てから警察のバンに入れられるまで約10分間、まるで、警官とデモ隊、ジャーナリストが出演する街頭劇のようだった。


2月12日(土曜日)
 日刊紙「Rajdhani」、「Kantipur」、「The Kathmandu Post」の3紙が、トップでネパール駐在モリアティー米大使の発言を報道する。米大使は昨日、カトマンズで開かれたプログラムで記者団に対して、「国王が100日以内に政党リーダーを釈放して、民主的プロセスと市民権を復活させると約した」と話した。国王は政変後に米大使と会見したさいに、自ら率いる内閣が仕事をするのに、100日あるいは3ヶ月ほしいと話したというが、100日間のあいだにどうやって民主的プロセスを復活させるのかの詳細はわからない。あるいは、この間に、マオイストを徹底的に軍事制圧して、政党側の民主化運動も徹底的に抑圧するという意味なのか。

 日刊紙「Rajdhani」が、昨日のUMLのデモで逮捕された人の写真を1面トップで掲載した。このところ、同紙がいちばん積極的に反国王の動きを伝えている。
 午後、マオイストの党首「プラチャンダ」の名前で、E−メールを通じて声明文が送られてくる。この日は、マオイストが人民戦争を開始した9周年にあたる。声明文は、それにちなんだものだ。A4サイズ3ページにわたる長い声明文。政党側に対して、「制憲議会と複数政党制民主主義共和制という最小限度の合意にもとづき、共闘する準備がある」とアピールする。さらに、現国王とは「対話の可能性も必要性もなし」と突き放す。政変以前は国王との直接対話を求めていたマオイストだが、急に態度を変えた理由は「1990年に獲得した全権を国王が略奪した」としている。マオイストが「複数政党制民主主義の共和制」を彼らの妥協点として正式に出してきたのは初めてだ。

 午後8時45分からのBBCネパール語放送で、プラチャンダの声が初めて放送された。プラチャンダは今日午後送ってきたのと同じ内容の声明文を読み上げて、これを録音したテープを送ってきたもの。彼の声が放送されるのは、人民戦争が始まって以来初めてのことだ。BBCはさらに、マオイストのスポークスマン、クリシュナ・バハドゥル・マハラの衛星電話インタビューを放送した。マハラは、国王が宣言のなかでマオイストを「テロリスト」と呼んだことに触れ、「国王が自分たちに対する、こうした見方を取り消したら、そのときに対話の可能性を考える」と話した。


2月14日(月曜日)
 某人権関連NGOの会議で、国王がトゥルシ・ギリ(78歳)とキルティ・ニディ・ビスタ(77歳)を国王率いる内閣の副首相に任命したことを知る。2人とも、現国王の父である故マヘンドラ国王時代から、王室が最も信頼を寄せてきた政治家だ。ギリは、1960年にマヘンドラ国王が同じようにクーデターをしたときにも、当時の国王が率いる政権の副首相に任命されている。44年目に、ほとんど同じ状況で副首相になったギリは、今回の政変で、国王のメッセンジャーとしてインドに知らせを送ったとも聞いた。ギリは民主化後、ネパールを離れてインドやスリランカに住んでいたが、何日か前にカトマンズに呼び戻され、カトマンズ市内の某5つ星ホテルのスイート・ルームに滞在していたと聞いた。

 マオイストは一昨日から、全国で交通封鎖を始めた。昨日と今日は「全国ゼネスト」だが、カトマンズ市内は何の影響もなかった。治安部隊による“特別警戒態勢”のおかげといえる。

 人権関連NGOの会議で、地方に視察に出かけようとした同NGOのスタッフが、空港のカウンターで搭乗を阻止されたと聞いた。国家人権委員会のカピル・シュレスタ氏もビラトナガルに行くところを、同様にして空港で阻止された。「カトマンズ盆地の外に行かせるな」という名前のリストにはかなり大勢の人の名前があるようだ。

 ネパール会議派が「2月18日から平和的運動を開始すること」を公にした。全国で毎日、デモや座り込みをして、順番で逮捕されるという、これまでの方法を続けるというが、どこまで可能か疑問である。今日、民主化勢力の政党間での合同会議があると聞いたが、朝、ネパール会議派の幹部の一人に電話で聞いたかぎりでは、具体的に政党間の共闘に関する話し合いは進んでいないようだった。


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