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速報
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ネパール 非常事態宣言! 小倉清子の緊急手記 第4回(05/02/21)

2月15日(火曜日)
 政変を受けて、ネパールに対する政策を相談するために、ネパール駐在の各国大使が次々と自国に召還されている。土曜日、モリアティ米大使が帰国。昨日はインド大使のムケルジ氏がインドの外務次官との話し合いのためにデリーに発った。フランス、EU、デンマークの大使も召還されている。

 午前中、某政党の幹部でもあり平和のための市民サークルを主催する活動家でもある人物と会う。政党側はまだ合同代表者会議も開けていないようだ。最大の原因は、ほとんどのリーダーが自宅監禁か拘束下にあるネパール会議派が、誰を代表者とするかに関して決定できないでいること。ネパール労働者農民党(NMKP)が、与党に参加したネパール共産党統一マルキスト(UML)とネパール会議派(デモクラート)との合同運動に断固として反対していることだと聞いた。人権活動家も、会合を招集しても出てくる人が限られているという。安全に不安があるからだというが、彼ら全員を官憲が追っているわけでもあるまい。過剰な反応のような気もする。

 しかし、何人かの人権活動家は政変直後に軍にターゲットにされたため完全に地下に潜行した。マオイストと政府の仲介をしてきた有力左翼系月刊誌の編集長の家には、何回も軍が来て家宅捜査をし、電話線を切っていったそうだ。1990年民主化運動のときに知識人を率いて、重要な役割を果たした人権活動家の家も官憲が周辺を監視するようになったため、家を離れた。15日午後、カトマンズ市内にあるシェルターでこの人権活動家に会うことができた。海外に広いネットワークをもつ彼は、政変後、E−メールを通じて国内外の関係者に抗議文を送る活動を続けている。高齢であることもあり、地下潜行生活に心理的に疲れているようだった。政変直後に外国機関が保護を申し出たが、それを断ったと話していた。


2月16日(水曜日)
 朝、ネパール会議派のスポークスマン、アルジュン・ナルシン・K.C.から電話が入り、「午後1時半から、党本部で記者会見をする」と言う。“自宅謹慎”状態にあると聞いたが、党本部で記者会見などをしたら、間違いなく逮捕されるだろう。それを覚悟してのことなのか、どうも本意がわからない。

 時間どおりに、ラリトプル市の郊外にある党本部の新しい建物に行くと、すでに大勢のメディア関係者が来ていた。政変後、党本部はしばらく閉鎖されていたが、3日前から開けたという。党関係者の会合もあるらしく、学生リーダーや元国会議員らも何人か来ていた。午後1時半を少しまわったころ、K.C.氏が到着した。庭の椅子に座った氏を取り囲んで、記者会見が始まった。氏はまず、2日後の2月18日から国王の宣言に反対する運動を始めることを宣言。その後、「なぜ、今になっても政党間は合同声明一つ出せないでいるのか」と質問すると、「会合は進んでいる。一両日中に合同声明を出す」と答えた。「運動の目的は何なのか」と聞くと、「全体主義に反対して、民主主義を求めることだ」と言う。どうも、はっきりとしないスローガンだ。

 15分間、戸外でメディア関係者と話したあと、K.C.氏は本部建物の中に入った。部屋の中には、同党女性組織会長のミーナ・パンデや党最長老の1人バル・バハドゥル・ライらもいた。再び15分ほどの質疑応答のあと、党員たちが会合をすると聞き、いったん、外に出ると門の外に警察のバンが止まっていた。警官に「K.C.氏を逮捕しにきたのか」と聞くと、「そういう指示は出ていない」という。しかし、この直後、警官は本部の建物のなかに入っていき、K.C.氏を逮捕。BBCラジオのマイクに向かって、警官を非難する発言をしたミーナ・パンデも拘束した。

 それにしても、K.C.氏は運動が始まる2日前に、逮捕されるとわかっていながら、なぜ党本部に行ったのか。ネパール会議派の責任ある幹部がほとんど拘束されている状況で、スポークスマンはわれわれメディアの人間に情報を流すという重要な役割がある。氏のまわりの人間は「賭けをした」のだというが、あまりにも無責任な行動ではないか。

 夜のBBCネパール語放送で、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニストのナンバー2であるK.P.オリが「国王と対話の用意がある」という発言をしていた。これまたどういう意味なのか。オリ氏も政変時に拘束されたが、なぜか10日に釈放された。王室が、氏を政党との仲介役として利用しようとしているのだという噂もある。

 6つの政党の学生組織の代表が、昨日、合同会議を開いて合同声明を出した。手書きの声明文のコピーをもらう。声明文のなかで2月18日から運動を開始することを宣言している。学生は少なくとも共闘することに合意したようだ。


2月17日(木曜日)
 早朝、左翼系政党の人民戦線ネパールの幹部の一人、パリ・タパ氏に会う。驚いたことに、氏は地下に潜行せず、オープンに活動しているという。同党の幹部には、民主化以降もずっと半地下潜行生活を送ってきた人もいるのだが、氏は今のところ、身の危険を感じていないという。氏の話しから、政党側が合同会議さえ開けずにいる主な原因が、やはりネパール会議派とネパール労働者農民党にあることがわかった。前者はいまだに、誰が責任をもって他党とのコーディネーションをするのか決められずにいるという。運動のスローガンについては、彼の政党は「共和制」を党のイデオロギーとして明確に示しているが、特に、ネパール会議派が党総会で「立憲君主制」へのこだわりを捨てる決定をしないかぎり、全党一致で「共和制」をスローガンにすることは難しいだろうという。

 午後、バルクーにあるネパール共産党統一マルキスト・レーニニストの党本部に行く。政変後、何度か訪れたとき、本部は閉鎖されていたため、てっきり、党員はいないだろうと思っていくと、事務所幹事を含む大勢の党員がいたので驚いた。しかし、さすがに地下に潜行している党幹部や学生リーダーらは一人もいなかった。本部の敷地内には制服と私服の警官が何人かいるのがわかった。建物の外に出ると、私服警官らしい男がすぐに寄ってきて、「どの国から来た?」と聞く。「あなたは誰だ?」と逆に聞き返し、しつこくついてくるのを振り払って外に出た。

 明日のデモのために、学生グループは今日午後、カトマンズ市内の某キャンパスで会合を開いた。ネパール会議派は午後1時、旧市街のボタヒティから、この時間帯にデモが効果的に出せなかった場合、3時にスンダラからという情報を得る。ネパール共産党統一マルキスト・レーニニストの学生組織ANNFSUは午後3時、ボタヒティから、人民戦線ネパールは12時半、マハボウダに集合しボタヒティのほうにデモを出すという。

 明日のデモを阻止するためか、昨夜から今朝にかけて、あちこちで軍・官憲が活動家の家を家宅捜査したようだ。ネパール会議派の学生組織NSUのシン会長の借部屋にも、昨夜、5人の私服の軍兵士が訪れ、写真アルバムやさまざまな書類を押収していったと聞く。シン会長は、もちろん自宅を離れて地下に潜行しているため逮捕はされなかった。

 夜9時過ぎにかかってきた電話で、子供の権利を守るNGO「CWIN」の代表ガウリ・プラダン氏がヨーロッパから帰国したところをトリブバン空港で軍に拘束されたと聞く。拘束の可能性を知って、プラダン氏は国連カトマンズ事務所の国連高等人権弁務官事務所スタッフに電話をし、空港に国連の車で迎えにきてもらうよう依頼したという。しかし、軍は国連の外国人スタッフの目の前で氏を拘束していった。プラダン氏は政治的にそれほど活発な人物ではない。やはり、ニューデリーから帰国したところを軍に拘束された、トリブバン大学のロク・ラジ・バラル教授といい、プラダン氏といい、民間人がなぜ拘束されるのか、その理由がはっきりしない。


2月18日(金曜日)
 早朝、まだ暗いうち、カトマンズの中心のほうから大砲の音が聞こえる。朝7時すぎ、取材のアポイントメントをとるために電話の受話器をとると、「話し中」のときと同じ、「プー、プー」という音がした。2本の電話とも同じ。2月1日の国王宣言直後と同様、電話の前線を不通にしたのだとわかった。今日から始まることになっている「民主化運動」の初日のデモが成功するのを阻止するための措置であることは明らかだ。

 近所の新聞店に行くと、店の前に7,8人の軍の武装兵士が銃を構えていた。店主は電話を指差しながら、「これでも民主主義があるといえるのか」と怒った様子。道路を走る車も少ない。8時すぎ、タクシーで街中に出て、その理由がわかった。バグマティ川にかかる橋を渡って、タパタリに出ると、交通規制で車が通れなくなっていた。交通規制をした理由は「民主の日」にちなんだ「マラソン大会」だった。ランニング姿のランナーが車を追い出した通りを走っている。外国人もずいぶ混じっていた。あちこちに軍の兵士や武装警察隊の警官が目立つ。目的地にはかなりの遠回りをして着いた。電話が通じないために、会いたい人とはすれ違いで会えず、仕方なく、いったん家に戻る。

 11時すぎ、カトマンズ市内に出る。中心にある軍用広場の東の通りを大勢の人が歩いていた。国民服のダウラ・スルワルを着たひとも多い。ほとんどが役人だ。今日は、現国王の祖父にあたるトリブバン国王が亡命先のインドから帰国し、王政復古をした日にちなんだ「民主の日」。絶対権力を手にしたギャネンドラ国王は、今年、いつになく盛大な式典を開くつもりのようだ。カトマンズ在住の政府役人は全員が式典への出席を義務付けられたが、ほとんどの役人が出欠をとる名簿に署名をして帰ってしまうらしい。軍用広場を取り巻く道路をたくさんの学校から来た生徒の行列が続く。国王夫妻の写真のプラカードをもった生徒も多い。政府は、今日の式典に出席するよう各学校に要請する手紙を送ったと聞く。

 式典が始まる12時ちょうど、トリプレスワルにある軍本部の敷地内からヘリコプター2機が飛び立った。軍用広場のほうに飛びながら、花や色紙の混ざったものがまかれた。式典よりも、政党側のデモのほうに興味があるため、急いでラトナ公園のほうに向かう。

 ビール病院の前で、知らない男が「自分はネパール会議派の人間だ。リーダーが潜んでいる家を知っているから、連れて行ってやる」と話しかけてきた。すぐに「CID(内務省調査局の警官)だ」とぴんとくる。「自分は政府の式典を見に来ただけだ」と答えて、男を振り払い、ボタヒティのほうに向かった。デモが出る予定の午後1時が迫っているが、ボタヒティ周辺には大勢の警官がおり、とてもデモができるような状況ではない。顔見知りのカメラマンを見つけ、一緒にアサン・チョークのほうへ行く。さらに大勢の制服・私服の警官がおり、カメラを抱えた国内外のジャーナリストもたくさん集まっている。

 1時をすぎたが、デモが出る様子は見えず。しかし、顔見知りのネパール会議派の活動家数人に会った。「誰が、デモをリードするのか?」と聞くと、「知らない」と、頼りない答えが返ってきた。ここにきて、同党の女性組織トップのミーナ・パンデ元国会議員が、デモを始める前にボタヒティで逮捕されたと聞く。午後1時半、アサンの西側に伸びる小路からスローガンを叫ぶ声が聞こる。走っていくと、2〜30人のデモが西のほうに行くのが見えた。一人が赤地に4つ星が描かれたネパール会議派の旗をもち、回りの活動家が右手を上げて「独裁政治を廃止しろ」などとスローガンを上げている。デモ隊は5分ほどスローガンを叫んだあと、西のほうへ逃げていった。このあとアサンのほうから警官が走ってくるが、すでにほとんどの人は逃げたあとだった。党旗をもった男性1人が警官に捕まり、インドラチョークの方に連行されていった。

 再びアサンに戻ると、ネパール会議派の活動家がまだ残っており、1人ずつ警官に逮捕されて近くにある警察のバンに入れられた。捕まると皆、1人でスローガンを叫んでいる。10分のほどのあいだに、元国会議員のハリ・バクタ・アディカリを含む5人が次々と逮捕された。

 それにしても、アサンからボタヒティにかけて、かなりの数の私服警官と私服の軍情報局の人間がいるようだった。ジャーナリスト同士で話をしていると、あからさまに近くに寄ってきて聞き耳を立てる人もいる。知り合い以外は誰も信用できない。さっき、ビール病院前で話しかけてきた男が制服警官と話しているのを見て、「ネパール会議派の人間がなぜ警官と話しているのだ。嘘をつくな」と叱る。

 知り合いの記者が「ニューロードに行こう」と囁いてきた。ネパール会議派の逮捕されなかった活動家がニューロードに移動してデモをするのだという。しばらく待つものの、ニューロードも大勢の警官で、デモは出せず。ANNFSUのデモが出る予定の午後3時が迫ってきたため、再びボタヒティに戻る。ANNFSUはゲリラ的なデモをするのに最も長けたグループであるため、まちがいなく予定どおりの場所で予定通りの時間に出るだろうと信じて待つと、3時5分すぎ、アサンとボタヒティのあいだの通りで、女子学生を含む7,8人がパンフレットを空中にまき、旗を手にスローガンを上げはじめた。デモをするというよりは、「国王宣言を取り消せ」と1箇所にとどまって叫び、2,3分で小路に逃げ去った。ネパール会議派と異なり、誰も捕まらなかった。

 ネパール会議派のデモもANNFSUのデモも、あっというまのできごとだった。国王の盛大な式典と比べると、あまりにも対照的だ。民主化運動の開始を宣言するだけの意味はあるかもしれないが、これだけきつい警戒態勢のなかで、どうやって運動を進めていくつもりなのか。

 夕方、市内某所で3大政党(ネパール会議派、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト、人民戦線ネパール)の学生組織のトップ3人と会う。インドのテレビ局も同席する。3人とも口をそろえて、「地下に潜行して活動することの困難さ」を語っていた。とにかく、匿ってくれる人がなかなかいないのだという。政党に対する不満・不信、官憲・軍に対する恐怖、政治に対する無関心など、その理由はいろいろあるのだろうが、カトマンズの市民が1990年民主化運動当時よりもより個人主義になったこともあると思う。政治には関わりたくないという人の割合が増えているのだろう。

 3人に対して、「今日のデモを成功したと思うか」と聞くと、「これだけ困難な状況のなかで、スローガンを上げることができただけで成功したと思う」という。しかし、これを目撃した市民は、一瞬にして終わったデモをどう見ているのだろうか。3人に運動の目的を聞くと、ネパール会議派の学生組織NSUのシン会長を除く二人が「国王のいない民主主義を求める」と、明確に共和制要求をすることを明らかにした。もともと「共和制」を党方針として決定している極左系の人民戦線ネパールはともかく、最大政党のネパール共産党統一マルキスト・レーニニストは共和制を党決定していない。党リーダーの考えはどうなのか、直接会って、聞きたいところである。


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