通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
2月23日(水曜日)
「カンティプル」紙と「ザ・カトマンズ・ポスト」紙は、ネパールに軍事援助をする3国(米英インド)の一つイギリス政府が、「ネパールにおけるdicturbing situation」を理由に、ネパール政府に対する軍事援助の停止を決めたと報道した。ジャック・ストロー英外相が昨日、声明を出して明らかにしたもので、ストロー外相はギャネンドラ国王に対して、「国民の代表からなる政府と民主的権利を回復するよう求めつづける」ことも明らかにしている。英政府は政変直前の1月20日、Global Conflict Prevention Poolに基づき、ネパールに対する軍事援助のパケットの詳細を英議会に提出したことも明らかにした。このパケットには134万ポンド相当の“致死的でない軍備品”も含まれているという。一方、インド政府も、2月1日以来、ネパールへの軍事関連援助物資の供給を停止していることを明らかにしている。軍事援助をしている残りの米政府は、まだ明確な態度を示していない。
2月25日(金曜日)
すべての全国紙が一面で、昨夜のギャネンドラ国王とメディア関係者の会見の席での国王の発言に関する記事を掲載している。英字紙・ネパール語紙の各編集長と2つのオンライン紙編集長が昨夕、ナラヤンヒティ王宮内の庭で開かれた会見に出席した。ほとんどの新聞が「テロに対する闘いが国家の最大アジェンダである」とする内容の国王の言葉をタイトルに掲げている。インド・英国が軍事援助を停止したことに関する質問には、「民主主義を守り、テロと戦おうとしているときに、友人たちはなぜわれわれを助けないのだ」と不満を含んだ答えをされたと伝えている。「ネパールには現在、2つの“主義者”だけがいる。“テロリスト”と“平和主義者”だ」「国王と政党が手を合わせないといけないと皆言うが、何に基づいて合わせろというのだ?彼らがテロリズムとテロリストに対する見解を明確にすれば、一歩前進することができる」「メディアはテロリストを支持する以外の記事であれば、何でも書ける」(『カンティプル』紙より)という発言のほか、「政変後(国王は)孤独を感じているか」との質問には、笑って、「人々は私のことを思ってそう話しているのだろう」(『ザ・カトマンズ・ポスト』紙より)と答えられたという。「国王は会見中、終始、落ち着いて自信に満ちた態度で質問に答えられた」(『ザ・カトマンズ・ポスト』紙より)ともある。
「カンティプル」紙が、「カトマンズ盆地の外に出してはいけない」という指示が出ている200人以上の名前のリストのなかに、19人の学者・人権活動家・知識人の名前があることを明らかにし、全員の名前を掲載した。このなかには、元保健大臣でマオイストと政府の仲介をしてきたパドマ・ラトナ・トゥラダル氏、やはりマオイストの仲介者を務めた元国会議長のダマン・ナス・ドゥンガナ氏、トリブバン大学ネパールアジア研究所(CNAS)の学者3人、元最高裁判事長で現憲法の作成者であるラクシュマン・アリヤル氏らの名前があるという。興味深いことに、これら19人の民間人のほとんどは、マオイストの要求である「制憲議会選挙」を積極的に支持してきたオピニオン・リーダーたちだ。やはりトリブバン大学のオム・グルン博士も、民族関係の国際会議に出席するために、25人の代表団を率いてトリブバン空港からコルコタに向けて搭乗しようとしたところを、税関を通ったあとに、「リストに名前があること」を理由に引き返すよう指示されたと伝えられている。このため、25人の代表団全員がコルコタ行きをボイコットした。また、月曜日には、ラクシュマン・アリヤル元最高裁判事長もインドに向かおうとしていたところを空港で阻止されて引き返したという。
無期限交通ストの影響がわが家にも直接出てきた。家の者が1週間後に迫っている彼女自身の結婚式で、平野部にある実家に帰らないといけないのだが、どうやって行ったらいいものか頭を痛めている。一応、婚約者とともに一番近いところにある空港までの飛行機を予約したのだが、実家までは、そこからさらに数十キロの道のりがあり、このままでは飛行場から自転車で行くしか方法がない。しかし、日中、かなり暑いことが予想され、果たして間に合うかどうか不安だという。1日でも早く着くために予約を変更しようとしたら、飛行機の予約は一杯で変更はとても無理だという。そうこうしているうちに、友人が「今日からサージャ・バスが走っている」という情報をもってきてくれた。バス乗り場に行くと、チケットを売り出しているという。そこで、飛行機をキャンセルして、バスのチケットを買った。
同じ村の出身者で外国への出稼ぎから戻った人たちが何人か、やはり帰れなくて困っているという。何人かはカトマンズで自転車を買って、それをもって飛行機に乗ったらしい。飛行機の予約もなかなかとれず、1週間も足止めされている人もいると聞く。どれだけたくさんの人たちが、この交通ゼネストの影響で、カトマンズに足止めを食っているのだろう。
今日、トリブバン大学のロクラジ・バラル教授、UMLのスポークスマンを務めるプラディプ・ネパール氏ら9人が釈放された。
夕方会った、某政党リーダーに今日、5政党が初めての合同代表者会議を開いたと聞いた。明日も合同会議が開かれる予定で、その後、共同声明が出されるらしい。3月8日から街頭運動を強化することを明らかにしているネパール共産党統一マルキスト・レーニニストは、党傘下にあるさまざまな組織を通じて、このデモのための準備を始めているようだ。
夜のBBCネパール語放送で、政変後インド側の逃れたネパール会議派の中央委員モハンタ・タクール氏のインタビューが放送された。内容は、昨日の国王とメディア関係者の会見に関するもので、国王が「長くとも3年以内に民主主義を復活させる」と発言したことに関して、タクール氏は、「国王は再び政党を馬鹿にしようとしている」「国王が本当に立憲君主制を望んでいるのであれば、今のような状況は起こらなかった」と国王に対する不信を強く表していた。タクール氏は演説をすると、最も過激に王制批判をするリーダーとして知られる。インドに近い“マデシ・コミュニティ”のなかに、明確な“共和制支持者”が少なくないことは興味深い。さらに、インド軍の元将軍でネパール専門家のアショク・メタ氏が「国王はマオイストを掃討するという名目のもとに、政党を掃討しようとしている。民主勢力(政党)を制圧するために軍を使い、マオイスト掃討作戦そのものに軍があまり使われていない」と、厳しい発言をしていた。インド側からインタビューに答える人たちの発言が、真実を突いていて面白い。
2月26日(土曜日)
朝6時のサージャ・バスで実家に帰ることになっていた家の者は、家を出てすぐ、「サージャ・バスが出なかった」といって戻ってきた。一緒に出た彼女の婚約者を多くのバスが発着するカランキに様子を見にやると、「バスはいくらでも走っている」という答えを電話で伝えてきた。そこで、彼女をすぐに送り出した。
午後、某日刊紙の編集部を訪れる。政治記者3人と話しをする。記事にはできなくとも、皆、新情報を持っている。誰もが口にするのは、「政党側の動きが鈍い」ということだ。政府がメディアをモニターする委員会を設置したと聞いた。プレス証を発行する情報局内に設置されるという。委員長は、またしても国王側近として知られる日刊紙の元ジャーナリスト。任命される人事すべてが、あまりにも偏りがありすぎる。これが“独裁政治”ということなのだろう。話しのなかで、政党が一般人を巻き込んだ民主化運動をするつもりなら、少なくとも党首レベルのリーダーが合同で声明を出して、「民主化後15年間の政治は間違っていた」と国民に謝るべきだという意見がでた。私もまったく同感だ。国民の政党に対する不信を拭い去るには、まず謝って、汚職容疑で有罪となったリーダーを幹部からはずすくらいのことをやらないと信用はできない。
午後遅く、マオイストの党首「プラチャンダ」から、E−メールで声明が届く。「国王の動きに抗議して2月12日から続けていた、無期限の全国交通ストおよび経済封鎖を中止する」という宣言文だ。声明はさらに「全国で人民を動員して、武装闘争を強化する。それでも、政治的解決ができなかった場合には、来月(ネパール暦のチャイトラ月、すなわち3月14日)から無期限の全国ゼネストを決行する」としている。
昨日から、治安部隊のエスコート付きでハイウェーを走る車の量が大分増えたと聞いた。平野部では、「26,27日の2日間だけ、交通ストを解除する」とマオイストは言っていたらしいが、結局、15日間の連続ストで「十分」と判断したのか、あるいは、車の量が増えて、「効果が薄くなった」と判断したのかは不明。声明を見てすぐに、西ネパールのピュータン郡とダン郡に住む友人に電話をした。ピュータンの友人は、「12日以降、1台も車が来ていない」と、ダン郡の友人は、「ゴラヒとトゥルシプル間をわずかな車が走っている以外、走っていない」という答え。
午後5時すぎ、家の者から「ナラヤンガートに着いた」という電話が入った。さらにハイウェーを西に行かないといけないのだが、たくさんのバス・トラックが列を作って治安部隊のエスコートを待っていると言う。
夜8時半、某政党中央委員の1人に電話をすると、「5政党が合同運動を決定した」という内容の話しだった。互いに自宅の電話の盗聴が気になるため、明確な言葉は使わずに会話をするのだが、「結論が出た」という一言で理解できた。BBCネパール語放送でもトップニュースでこれに触れていた。昨日聞いていた通り、ネパール会議派、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)、ネパール会議派(デモクラート)、人民戦線ネパール、ネパール・サドバワナ党(アナンダ・デビ)の5政党が「国王の動きに反対し、民主主義の復活を求めた合同運動を3月初めから開始する」と宣言した合同声明をだしたというニュースである。政変前まで、ネパール会議派、人民戦線ネパール、ネパール・サドバワナ党(アナンダ・デビ)と反国王の運動を続けてきたネパール労働者農民党(NMKP)は、最後まで合同運動に同意しなかった。政変時、国王に罷免されたデウバ首相のネパール会議派(デモクラート)と、UMLとの共闘にどうしても同意しなかったらしい。現在の状況をもたらした大きな責任がUMLとデウバ首相にある。したがって、彼ら2党とは共闘すべきでないという意見だと聞いた。他の政党は、「いや、彼らもそのうち加わるさ」と簡単に話しているが、NMKPの言い分は真実だ。国王が政変を起こす最大のきっかけを与えたのは、どう見ても、マオイストとデウバ首相である。街頭運動を離れて、デウバ内閣に入閣したUMLの責任も大きい。マオイストはともかく、デウバ首相は2002年に首相だったときに、国会を解散するという最大の過ちを犯している。この国会解散が現在の状況を生み出す直接の原因となったことについては、誰も否定はしまい。デウバ前首相はこの“歴史的過ち”の責任をどうとるつもりなのか。
2月27日(日曜日)
日刊紙を見ると、ほとんどの新聞が一面で、5政党が合同運動を始めることを決めたニュースを掲載している。週刊紙「デサンタル」などは一面トップ、半面を使って、ネパール会議派の旗をもったデモの写真入りである。同紙は、先週、政変直後に抗議の意味を込めて、社説を白紙で出したことから、官憲(カトマンズ郡行政局)に聴取を受けた新聞だが、どう見ても“規制”にかかりそうな記事を掲載して大丈夫なのだろうか、他人事ながら心配になる。メディアも少しずつ口を開きだしたようだ。「政党側が動き出せば、われわれも書きやすくなる」とある日刊紙のデスクが話していたが、こういうことなのだろう。
早朝、某政党の中央委員に直接会って、昨夜の合同声明のコピーをもらう。5政党は、声明のなかで「完全な民主主義と主権在民を実現するために、平和的運動に参加するよう」、すべての政治勢力や国民に呼びかけ、国王の宣言をすぐに取り消し、非常事態宣言を解除して、拘束されている政治活動家らを釈放するよう要請している。さらに、「3月8日と14日に、全国で政党の旗をもって平和的デモをすること」を宣言している。とりあえず、8日のデモに向けて各党準備が始まったという。8日の前にもさまざまな形で小さなデモの計画があると聞いた。ようやく動き出したという感じだ。しかし、5政党の合同声明に署名した5人のリーダーの名前を見ると、ネパール会議派(デモクラート)のビジャヤ・クマール・ガッチャダルの名前がある。何度も閣僚経験があり、“汚職政治家”の筆頭に名前があがるリーダーだ。彼らがこの運動を本気で成功させたいつもりであれば、少なくとも、こうした“悪名高い”リーダーに署名させるべきではないと思うのが。国民の記憶を馬鹿にしてはいけない。
昨夜から接触を試みていたネパール会議派の幹部の一人と連絡が取れた。各党間のコーディネーションを中心になってやっているリーダーの一人である。昨日、一昨日と開かれた5政党の合同会議にも出席した人物だ。取材を申し込むと、「すぐに来い」と言われて、指定の場所に向かう。まず、合同声明を出すのが遅れた主な原因について問うと、「ネパール労働者農民党(NMKP)が加わるのを待っていたからだ」という答えが返ってきた。NMKPはネパール会議派を含む3党とともに、2003年5月から共に「反国王」の街頭運動を続けてきた政党である。今回、合同運動に加わることを拒否している理由は、やはり、罷免された政府に入閣していたネパール共産党統一マルキスト・レーニニストとネパール会議派(デモクラート)との共闘に合意しなかったからだという。
この幹部は、官憲の目が厳しく、合同会議を開くのが非常に困難であるとこぼしていた。民主化後発達したテレビメディアのためもあり、どの政党のリーダーも大抵顔が知られている。密かに集まるのが困難であることが予想できる。合同会議では、結局、運動の目的、つまり共通のスローガンは「完全な民主主義と主権在民の復活」ということしか決めなかった。何を持って“完全な民主主義”とするかを議論するまではいかなかったようだ。中央委員7人が拘束されているネパール会議派のように、党決定機関の幹部が集まれないために、イデオロギー的なことを決定できないでいる政党もある。
週刊紙「デサンタル」が「今日午後2時、ネパール会議派の青年組織タルン・ダルと学生らがアサンからデモを出す」と一面で伝えているのを見て、午後2時にアサンに行く。何人かのカメラマンを見かけるが、18日のデモのときほどの人数ではない。アサンの西側にあるナラデビ付近からデモが出ると聞いて、45分ほど待つが、なかなか出る様子がないため、あきらめて帰ることにする。アサンの東のボタヒティからタクシーに乗ると、ひどい渋滞である。ラニ・ポカリ北の通りは通行止めで、王宮前通りまで回り道をしなければならなかった。渋滞の原因は“国王礼賛のデモ”だった。1キロ以上にわたって、学校の生徒の行列が続く。ラニ・ポカリに西側を歩いた行列は、王宮前通りにある故マヘンドラ国王の銅像をぐるりとまわって、ラトナ公園のほうに続く。行列の最前方は、国王夫妻の写真を飾った車とチベット仏教僧たちの行列だった。クラマンツ(軍用広場)ではシバラットリを控えた王室ネパール軍の行進訓練が進行中で、その外には装甲車がずらりと並ぶ。チベット仏教僧たちの行列が、その装甲車の横を行進する様子は、現在のカトマンズ(ネパールではない)の状況を表して興味深かった。「軍に支えられた平和」である。
国家非常事態宣言発令下、平和的デモが禁じられているというのに、こうした“国王礼賛デモ”が毎日どこかで出ている。一方、そこから500メートルと離れていないところでは、2〜30人の政党活動家がデモを出そうとしても、警官隊に阻止されて出せないでいる。どう考えても不条理だと思うのだが。