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速報
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ネパール 非常事態宣言! 小倉清子の緊急手記 第7回(05/03/4)
 2月1日、ギャネンドラ国王が非常事態宣言を発し、全権を掌握したネパール。国際電話、インターネットなどの通信は遮断され、カトマンズ在住の小倉清子との連絡も途絶えた。2月8日、ようやく通信が復活。
 通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。


2月28日(月曜日)
 早朝7時、ネパール会議派のスポークスマン代理を務める人物の家を訪ねる。同党のスポークスマン、アルジュン・ナル・シンKC氏が党本部から逮捕されて以来、同党の声明などを送る公式ルートが混乱しており、どこから得たらよいのか困っていたところ、この人物の名前を教えてもらった。彼の自宅には以前、1990年の民主化運動の取材をしたときに一度行ったことがある。昨夜のうちにアポをとっておいたのだが、一度で電話が通じたのが幸運だったことがわかった。彼の家の電話も、官憲側からしょっちゅう、切られているという。彼の家の電話は、24時間切られるわけではないらしいのだが、いつ切られるかわからないので、予定がつかないという。他にも大勢の政党活動家の自宅の電話が切られている。一種のハラスメントなのだろう。

 帰宅してから新聞を見て驚いた。西ネパールにあるピュータン郡に住む友人が昨日、マオイストに拉致されたというのだ。短い記事なので詳細がわからず、すぐにピュータンの日刊紙記者に電話をして状況を聞いた。拉致された友人は同郡に一つしかないキャンパスの学長をしているのだが、2月18日の民主の日の集会で、彼がマオイストに批判的な言葉を使った演説をしたことが拉致された理由なのだという。記事のなかに「知らせを聞いた妻が倒れた」とあったため、自宅に電話をすると、友人の妻がやはり非常に心配そうに「行方がまだわからない」と話す。「こちらでできることを試みる」と言って電話を切った。

 こちらでできることとは言っても、思いつくことはマオイストに友人の即時解放をアピールする声明を出すことくらいである。とりあえず、カトマンズ市内にある人権団体に行って、著名な人権活動家らの名前で声明を出してもらうよう依頼した。こうしたケースはしょっちゅう来るようで、書式が用意してあった。これをピュータンの記者をしている友人にファックスで送り、すぐに送り返すよう頼む。

 午後になり、CWIN代表で人権活動家のガウリ・プラダン氏の釈放を求める訴訟の最終弁論が最高裁であると聞く。最高裁に行くと、すでにプラダン氏の勝訴の判決が出たあとだった。氏を囲んで4,5人の記者がインタビューをしているところだった。プラダン氏は12日前に、ジュネーブで開かれた「子供の権利」に関する二つの国際会議に出席して帰国したところを、トリブバン空港から治安部隊に拘束された。官憲側は拘束の数日後に、「平和および治安法1990により90日間の拘禁」を命じたが、最高裁はこの拘束を「拘束の理由がない」「通知なしの拘束」などの理由で、「違法」とする判決を下した。政変後に拘束された人たちのなかで、釈放を求める訴訟を起こしたのはプラダン氏が3人目である。ネパール弁護士連合のシンドゥー・ナス・ピャクレル前会長と、ネパールジャーナリスト連合のニシュトリ幹事長は、最終弁論まで行かずに釈放された。したがって、勝訴したのはプラダン氏が最初となる。あとで知ったのだが、氏は最高裁の門を出たところで、再び逮捕されそうになったそうだ。しかし、最高裁のから釈放命令が来て、再逮捕を逃れたという。

 BBCネパール語放送のニュースで、カトマンズ駐在のモリアティ米大使が今日、自宅監禁下にあるネパール会議派のコイララ党首に会おうとしたが、治安部隊が会見を許可しなかったと伝えていた。モリアティ大使は、政変後、米政府に召還されて、ネパールに戻ったばかりである。コイララ党首との会見を求めた理由は何なのか。そちらの方がむしろ気になる。2003年には、主要5政党が反国王の街頭運動を進めていたとき、マリノフスキー前米大使がコイララ党首とネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)のネパール総書記と会見し、ギャネンドラ国王のメッセージを伝える役目をしたと言われている。今回は一体、何の目的で政党リーダーと会見するつもりなのか。あるいは、「会見を拒否された」というメッセージを伝えたいだけなのか。真意を図りかねる。


3月1日(火曜日)
 前から会いたいと思っていた2人の政党活動家とのアポがとれた。1人は、ネパール会議派の学生組織NSUのリーダー、ガガン・タパ氏。もう1人は、UMLの中央委員で、今回の運動の広報担当者シャンカル・ポカレル氏である。(2人のインタビューは別記の記事を参照してください。)
 まず、午前9時、某所に向かえに来た人のバイクで、ガガン・タパ氏に会いに行く。彼は昨年、党幹部によりNSU会長とともに、幹事長役を解任された。その後、NSU幹部はコイララ党首に近い学生リーダーで占められ、ガガンは孤立していると聞いていた。しかし、会って話しをすると、相変わらず明確な答えが返ってくる。「完全な民主主義とは共和制を意味する」とはっきりと話し、自党のリーダーも恐れずに批判する。強い個性と鋭い頭脳をもった彼のような青年リーダーは、「出る杭は打たれる」ネパールの政界ではなかなか認められにくい。周囲の嫉妬でつぶされる可能性のほうが高い。しかし、今回の運動を好機として、彼のような若手リーダーが活躍し、育ってほしい。

 ガガンとの会見を終え、シャンカル・ポカレル氏に会いに行く。1990年の民主化運動でも活躍したポカレル氏は、今やUMLの貴重なイデオローグの1人になっている。理路整然と話す内容は信頼性があり、これまで、私もマオイスト問題など、機会があるたびに彼に会って状況分析を聞いてきた。今回も、彼の話しを聞いて初めて、「少なくともUMLは事態を深刻にとって、党内粛清も含めた何かをやろうとしている」という印象をもった。「リーダーで動く」ネパール会議派は、こうした非常事態時になかなか組織的に動けない欠点をもつ。しかし、「組織で動く」UMLは、こうしたときに強みを発揮する。最も、議論ばかりで、実行されなければ意味はない。

 夕食に招かれた友人の家で、90年の民主化運動のときに大活躍をしたある職業人に会う。当時、政党活動家たちが街頭に出て来れないでいるなか、職場のスタッフたちを率いて果敢に抗議運動を組織した人物だ。今回の政変後、彼を含めたほとんどの知識人は今も沈黙を保っている。90年の民主化運動時に活発に活動した知識人たちのなかで、今回、活発にメッセージを発しているのはマトゥラ・プラサド・シュレスタ教授くらいだ。 自宅を離れて地下に潜行したシュレスタ教授は、2,3日おきに国王を批判する過激な文章をE−メールを通じて、国内外の人たちに送る活動を続けている。孤軍奮闘と言っていい。

 BBCネパール語放送で、昨日夕方、西ネパールのバルディア郡ガネシュプルで治安部隊とマオイストのあいだで交戦となり、マオイスト側に46人、治安部隊側に4人の死者が出たと報じていた。この両者の死者数の差は何を意味するのか。報道規制が布かれたなかで真実を知ることは難しい。


3月2日(水曜日)
 日刊紙「カンティプル」が、一面トップで政府が「治安当局が出した情報以外に、治安に関する一切の独立した記事を掲載することを禁じる」通達を出したことを報じている。情報通信省が出した通達には、「“テロリスト”(マオイストのこと)やテロ活動に直接的・間接的に利益を及ぼすようなニュースを報道した場合、処分される」とあるという。規制はますます厳しくなるようだ。

 午前中、マオイストに拉致されたピュータン郡の友人の甥が来る。彼と他にできることはないかと話し合う。すでにネパール弁護士連合やICRC(International Committee of Red Cross)には連絡しており、残されたのはネパール大学教員協会に釈放要求声明を出してもらうことだった。同協会のダカル会長に電話をすると、すぐに承諾してくれた。午後、トリチャンドラ・キャンパス内にある同協会事務所に行くと、その場で声明を書いてくれた。

 今日は、7つの学生組織による最初のプログラムがキャンパス内であるはずだった。「国王の宣言文」を燃やすプログラムである。しかし、トリチャンドラ・キャンパス構内に入っても、そうしたプログラムが行われた様子はない。もっとも、同キャンパスは政変直後から、入り口に数人の警官がいて学生の出入りを厳しくチェックしている。構内には私服警官も大勢入り込んでいるらしい。とても構内で抗議運動ができるような状況にはない。ダカル会長の話しによると、何人かの学生がプログラムを実行しようとし、2人の学生が逮捕されたという。

 トリチャンドラ・キャンパスで会った知り合いの学生と、ラトナラジ・キャンパスに様子を見に行く。このキャンパスは、道路をはさんだ向こう側に武装警官数人のグループがいるだけで、構内には、少なくとも制服警官は見かけない。ここでは午前中、構内で「宣言文」を燃やしたことがわかった。街頭デモを出すのが極めて難しいために、7つの学生組織はしばらくのあいだ、こうしてキャンパス構内でさまざまなプログラムを計画している。

 夜、マオイストがE−メールを通じて、声明を送ってきた。人民解放軍西師団の指揮官「プラバカル」の名前で書かれた、一昨日のバルディア郡での交戦に関する声明だ。このなかでマオイストは、彼らの側の犠牲者が32人であること。一般人7人が巻き込まれて死亡したことを主張している。マオイストの犠牲者のなかに、人民解放軍の“サトバリヤ”第2連隊指揮官「ジトゥ」が含まれていることも明らかにしている。第2連隊は昨年3月のベニ襲撃で副指揮官「ヨッダ」を亡くしている。その直後、エリート部隊である“マンガルセン”第1連隊の指揮官も爆発事故で死亡した。連隊指揮官級の死亡はマオイストにかなりの打撃を与えているはずだ。興味深いのは、連隊指揮官がバルディア郡のインド国境近くにいたことだ。これまで、人民解放軍の主要部隊は大抵、山岳地帯を活動の中心としてきた。しかし、現在、彼らは平野部にまで下りてきているらしい。マオイストが武装勢力をハイウェー沿いに集結させていることを示している。

 BBCネパール語放送が、ピュータンの友人の即時釈放を求めるネパール大学教員協会の声明を報じてくれた。ピュータンのマオイストが、これを聞いていてくれるといいのだが。


3月3日(木曜日)
 暑い1日だった。夕方になり、いろいろなニュースが立て続けに入った。まず、私が2月27日に会ったネパール会議派の中央委員が今日、カトマンズ市内の自宅から逮捕された。自宅で会ったとき、彼は「家の監視が解かれたのを見計らって家に戻った。家の電話もしょっちゅう切られている」と話していた。堂々と自宅にいて大丈夫なのかなと少々心配したのだが、案の定拘束されてしまった。彼は、政変直後に大勢の幹部が拘束下に置かれたあと、党内外の運動のコーディネーションを中心になって行ってきたのだが、またしても同党にとって大きな痛手である。しかし、スポークスマンのアルジュン・ナルシンK.C.にしても、この中央委員にしても、ネパール会議派のリーダーは、あまりにも不用意にすぎるのではないかという印象がある。

 午後8時すぎ、ピュータンの地元記者から、マオイストに拉致された友人が解放されたという電話があった。解放されたばかりで、本人はまだ帰宅途中だという。とりあえず、ほっとした。

 声明を出してくれたお礼の電話を、ネパール大学教員協会のダカル会長にすると、2月18日にカトマンズ市内で逮捕されたもう1人の知り合いの教員が今日、釈放されたことを聞いた。

 周囲の人たちが逮捕されたり、釈放されたり。こんなことが一体いつまで続くのだろうと思う。


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