通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
3月4日(金曜日)
今日の新聞各紙は、「ネパールで最初の試験管ベビー」の記事とともに、次官クラスの高級官僚の大量移動の記事をトップで掲載している。一昨日開かれた閣僚会議で、17人の次官の移動を決定し、昨日公表されたものだ。‘reserve pool’に移動になった次官のなかに、知り合いの官僚の名前があった。この知り合いの官僚は出世街道を早いスピードで突き進んで、40代半ばで重要な省の次官となった。高級官僚の“窓際族”とも言えるポストなしの‘reserve pool’にまわされたのは、某政党との近い関係のせいなのか、何なのか不明である。日刊紙「ラジダニ」は、「(新政府の)大臣を嫌いな次官が移動となった」と伝えている。
政府は、2月1日政変以来、自宅監禁下にある6人の政党リーダーの監禁期間を2ヶ月延長した。延長されたのは、ネパール会議派のコイララ党首、ネパール会議派(デモクラート)で前首相のデウバ党首、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)のネパール総書記、人民戦線ネパールのシェルチャン党首、UMLのアディカリ前副首相、ネパール会議派(デモクラート)のカドカ前内相だ。英字紙「The Kathmandu Post」によると、政府はすでに450人の政党リーダーに対して、3ヶ月間の拘禁命令を出しているという。国王率いる政府は、「政党リーダーを即時釈放せよ」という国内外からの圧力にもかかわらず、聞く耳をもたないらしい。
午前中会ったUMLの活動家から、今日午後4時ちょうど、カトマンズの中心部にあるアサンからデモが出ると聞く。今日は、UMLの母体であるネパール共産党マルキスト・レーニニストが1970年代に東ネパールのジャパで始めた武装闘争で犠牲になった人を偲んで、UMLのカトマンズ盆地コーディネーション委員会が計画したプログラムである。これまでよりも大勢の活動家が来るはずだと聞く。
ラリトプル市内にある某ホテルでランチをとっていると、筆頭閣僚(副首相)の1人キルティ・ニディ・ビスタ氏が入ってきた。後でニュースを見て、このホテルでパキスタンとミャンマーのネパール駐在大使が出席したプログラムがあったことを知った。両国とも長いこと軍事政権が支配する国である。単なる偶然なのか。
午後4時ちょうどにアサンへ行くと、デモが出る前に、すでに学生リーダー2人が逮捕されていったところだった。逮捕者の名前を聞くと、一人はよく知った人だった。UMLの学生組織ANNFSUナンバー2のタクール・ガイレ幹事長である。政変時、彼は実家があるパルパにいたと聞いていたのだが、いつのまにかカトマンズに戻っていたらしい。思わず、どうやってカトマンズ盆地に入ったのだろうと考えてしまった。やはり政変時にたまたま出身郡に行っていたネパール会議派の青年リーダーの友人が、先日夜、電話をかけてきて、「バスで帰ると捕まる可能性がある。歩いてカトマンズ盆地に入るしかなさそうだ」と話していたのを思い出す。
買い物客の賑わうアサンの広場には、警察のバンが止められており、今日も大勢のカメラを持ったジャーナリストが集まっている。「ベラシンの方から出る」という伝言を受けて、皆でそちらに移動する。警官が小路を挟み込むような形で包囲しており、ここでもデモが出そうにない。しばらくすると、UMLの元国会議員カマル・コイララが逮捕されたという情報が伝わった。そうこうするうちに、われわれの前でやはり元国会議員のラジェンドラ・ロハニが警官に捕まりバンに入れられた。2人ともデモを率いるために来たようだが、デモが出る前に逮捕されてしまった。それでもしばらく待つが、デモはなかなか出てくる気配がない。1時間もたつと、ジャーナリストも帰り始めた。私もあきらめて帰ることにした。
アサンで、たまたま、この日に初めて発行された「アデャヤン・ヤトラ(学びの旅)」という地下新聞を手に入れた。16ページからなる冊子には、このあいだ会ったUML中央委員のシャンカル・ポカレル、ネパール会議派学生リーダーのガガン・タパらが記事を投稿している。元マオイストのプスカル・ガウタムが「複数政党制共和制のほかに道はない」という過激なタイトルの文を書いている。1990年の民主化運動にも、ネパール会議派とネパール共産党マルキスト・レーニニストがこうして、地下新聞を発行していたのを思い出す。
夜、BBCネパール語放送を聞いて、今日、さらにもう1人知った人物が逮捕されたことを知る。ガガン・タパにインタビューをした際、同席したスラジ・カフレが自宅から逮捕されたらしい。
夜、UMLのトップリーダーの一人の自宅に何度も電話するが、受話器からは通話中の音が聞こえるのみ。どうやら、彼の家の電話も切られたらしい。今日発売された週刊誌に掲載された彼のインタビューが、電話を切られた原因かもしれない。
3月6日(日曜日)
朝、ピュータン郡に住む友人の記者が家に来る。最初にマオイストの取材でロルパに行ったとき、同行してくれた地元記者である。政変後のピュータンの様子を聞くと、「マオイストは今までどおり活動しており、政党側の動きはまったくない」と言う。ピュータンでもNCの活動家が何人か拘束された。郡で唯一の新聞を発行する友人も、政変直後、軍に拘束されそうになったという。
日刊紙「カンティプル」を見て、昨日、UMLの中央委員会が“秘密の場所で”開かれたことを知った。先日会ったUMLの中央委員の1人から、近い将来、中央委員会が開かれることを聞いていたが、これほど早く開かれるとは思っていなかった。昨日の会議で、自宅監禁下に置かれているネパール総書記に代わって、常備委員会メンバーのジャラ・ナス・カナル氏が書記長代理に任命された。日刊紙「ネパール・サマチャールパトラ」は、中央委員会の会議がバクタプルで早朝6時から午後4時まで開かれたと伝えている。
UMLは昨日の会議でいくつか重要な決定をした。一つはカナル書記長代理のもとに、1990年の民主化後14年間のあいだに同党が行ったことを評価して、過ち・弱点を同定するレポートを作成するための委員会を設置したこと。このレポートに基づいて、過ちを犯したリーダーは処分されることになるという。さらに、K.P.オリ氏のもとに合同民主化運動で掲げる要求、つまり“完全な民主主義”の具体的な意味について提案するレポートを作成する委員会も設置された。こうした動きは、党内のリーダーからではなく、一般の党員からの圧力として出てきたものだ。UMLがデウバ内閣に入閣したことに対して、不満をもつ党員がかなりいた。
ニュースを読んですぐに、中央委員会の決定の詳細を聞くために、UMLの中央委員の1人とアポをとり、午後3時、指定の場所で会う。彼は「過去にUMLがした過ちを認識して、国民のあいだに行く」方針が決まったと話す。「過去の見直し」に関しては、「1990民主化以降に同党が行った事全般」と「罷免されたデウバ内閣に入閣したあとに同党が行った事」に分けられ、前者は3ヶ月以内に、後者は1ヶ月以内にレポートを提出することになっている。これから予測されるのは、デウバ内閣で大臣を務めたリーダーがまず、処分の対象となることだ。すでに、いくつかのメディアで、バラト・モハン・アディカリ前副首相とイシュワル・ポカレル前産業商業・供給相の名前があがっている。政変後、前者は自宅監禁下に、後者はラジビラジで逮捕され今も拘禁されている。
中央委員会では、合同運動のスローガンとして、「独裁政治の終焉」と「完全な民主主義の確立」を掲げることが決まったという。共和制のスローガンは直接掲げないが、国王の出方次第では、運動がそちらの方向に進む可能性もあることを、この中央委員は示唆した。
実はUMLの総書記代理に任命されたカナル氏は先日、国民民主党(RPP)のパシュパティ・シャムシェル・ラナ党首と会見している。旧パンチャヤト派・王室派からなる同党は、当然、国王支持を表明するものと見られていたが、一部の党員が国王支持の声明を出したほか、党としては今のところ明確な態度を明らかにしていない。私が会った中央委員の話しによると、UMLとの会見で、RPPノラナ党首は「合同運動に参加することはできないが、あなたたちの考えはサポートする」と話したという。しかし、UML側はこれを信用してはいないという感触を受けた。
今日会った、某政党のタライ出身のリーダーが、明日からのラメシュ・ナス・パンデ外相のインド訪問について、「インド側がギャネンドラ国王側に傾く兆候か」という疑念を示していた。もしそうであれば、5政党の合同運動は長引くことになるだろうと、かなり悲観的なことを話す。ネパールの人たちには、アメリカやイギリスがなんと言おうと、結局、この国の行方を決めるのはインドであるという考えが今でも根強くある。それは確かに事実なのだが、少々自信がなさすぎるような気もする。
3月7日(月曜日)
ずいぶん気温が上がった。明日はシバラトッリで毎年、このお祭りの頃には寒が戻ると言われているが、今年は急激に気温が上がり、日中はすでに夏のような暑さだ。
日刊紙「ネパール・サマチャールパトラ」によると、政府は全国のNGO,INGOの規制強化を始めた。国防省がNGOを管轄する女性子供および社会福祉省に規制強化を進める要請をしたことに基づいて、すでに社会福祉省はNGO,INGOが活動する際のcode of conductを作成し、それを国防省に提出したと伝えている。これにより、全国に2500あるNGOおよび約50あるINGOは、これまでどおり自由な活動をすることができなくなり、海外からの援助を受ける際や地方で活動する際などに政府の許可を得なければならなくなるという。このINGO,NGO規制に関しては、とくに治安部隊による人権問題をうるさく非難してきた、アムネスティ・インターナショナルネパール支部や、マオイストとの接触を保ってきたICRC(国際赤十字)などの人権関連団体の活動を規制することが真の目的であると言われている。
午前中、ネパール会議派(NC)のリーダーの一人に会う。他政党とのコーディネートや党内の各組織とのコーディネートをしている中心人物である。彼の話しによると、同党の作業委員会のメンバー31人のうち、カトマンズで自宅監禁・拘束されていないメンバーは5人しかいないという。何とも心もとない話だ。ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)が、一昨日、バクタプルで開いた中央委員会に45人の中央委員が集まったのとは大きな違いである。政変後、インドや地方にいた何人かのNCリーダーは、まもなくカトマンズに戻るというが、おそらく飛行機でカトマンズ入りすることはできないだろう。先日、地方から私に電話をくれたNCの青年リーダーも、すでにカトマンズ入りしていることがわかった。彼はカトマンズ盆地に歩いて入ったという。
このリーダーもまだ自宅に滞在しているのだが、官憲側がいつまで放っておくだろうと心配になった。明日から、NC、UMLを含む5政党が合同運動を開始する。彼は「明日からはわからないが、今日までは大丈夫だろう」と、明日から自宅を離れて地下に潜行する可能性があることを明らかにした。
午後には、カトマンズの郊外にある某所でUMLの中央委員の1人に会った。彼は自宅にはたまにしか戻らず、“半地下生活”を送っている。彼にも、一昨日の中央委員会で決定したことの詳細を聞く。一昨日の会議がいかにして開かれたかについても聞いた。会議の場所を知っていたのは2,3人の中央委員のみで、それ以外の人は前の晩から1,2人ずつ別れて近くの家々に滞在し、当日早朝に会議が開かれた家に移動したのだという。さすがにUMLはこうした地下での活動に長けている。会議には、具合が悪かった人と地方に住んでおり知らせが届けられなかった人たちを除いて、全員が出席したという。
明日の5政党のよるデモは午後4時にアサンから出ると聞く。UMLからは中央委員の1人で故マダン・バンダリ元書記長の妻であるビデャヤ・バンダリがデモをリードし、逮捕される予定だという。「準備期間が短いために、それほど大きなデモは出せないだろう」と正直に話していた。
BBCネパール語放送で、英字月刊誌「HIMAL」とネパール語の隔週刊誌「ヒマール」の発行人でジャーナリストのカナク・マニ・デチト氏が、今日夜、ラリトプル市の自宅から官憲により拘束されたと知る。デチト氏は以前、最初に国家非常事態宣言が発令されていたとき、王室ネパール軍の人権侵害に関する記事を「HIMAL」に書き、それが理由で、軍に4時間拘束されて事情聴取をされたことがある。今回の拘束の原因は不明だが、この後、電話をかけたきたインド人の記者からの話しで、デチト氏が先日、インドのデリーで参加したセミナーで話した発言が、インドの新聞に掲載されていたという。それが原因なのか。カトマンズの外交サークルが、氏の拘束に対する迅速な抗議行動を起こそうとしているとも聞いた。
3月8日(火曜日)
早朝、ピュータン郡から来たもう一人の日刊紙記者が訪ねてきた。先日、キャンパス・チーフの友人がマオイストに拉致された同郡のビジュアル・バザールで、昨日、国王を支持するデモにマオイストが発砲し、治安部隊とのあいだで交戦となったという。一般人に負傷者が1人出たらしい。
昨夜、警察に拘束されたジャーナリストのデチト氏は昨夜のうちに釈放された。やはりインドのセミナーで王制を批判する発言をしたことが拘束の原因だったらしい。外交サークルの迅速な抗議が効いたのか、拘束後4時間で丁重に「帰ってください」と言われたそうだ。聴取では、インドでマオイストのリーダーと会ったか否か聞かれたそうだ。
今日はヒンドゥー教の祭り「シバラットリ」。「軍の日」でもある。日刊紙「カンティプル」を開くと、第2面と3面に、カラー刷りの王室ネパール軍の広告が目に付いた。一つは同紙を発行するカンティプル・パブリケーション自身が、「軍の日」にちなんで王室ネパール軍に出した“サンデシュ(お祝いの言葉)”である。記憶にあるかぎりでは、同紙がこれまでにこうした広告を出したことはない。編集長が王室寄りといわれる「ネパール・サマチャールパトラ」は3面を全面使った軍へのお祝い広告を掲載している。
午前11時、自宅にいると、クラマンツの方向から大砲の音が聞こえた。「軍の日」にちなんだ毎年恒例の行事が始まったのだろう。今日は午後から、5政党による初めての合同プログラムがある。最初のデモは行政側から許可をとったプログラムだ。「女性の日」にちなんで、3党(ネパール会議派、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト、ネパール会議派(民主))の傘下にある労働組合が午後2時、ラトナ公園から合同で“モン・ズルス(沈黙デモ)”をすることになっている。リードするのは各党の女性リーダーである。午後4時からは、5政党のデモが旧市街のアサンから出ることになっている。
午後2時前、ラトナ公園に行くが、恒例になった記者たちの姿が見えない。アサンに行くと、皆、そこに集まっていた。すでに、ネパール会議派の元国会議員2人が逮捕されたという。今日もまた、かなりの数の私服・制服警官が動員されている。3時すぎになり、最初のデモが中止されたとわかった。スローガンをあげない沈黙デモということで労働組合が許可を取ったが、昨夜、官憲側から主催者に電話が入り「中止」を要請されたという。主催者はメディア関係者にキャンセルの知らせを伝えなかったため、結局、同じアサンから午後4時に出るはずの5政党による“第二のデモ”を待つこととなる。
午後4時前、ふと後ろを見ると、見慣れた顔を見た。2002年5月に、マオイストの本拠地であるロルパ郡に取材に行ったとき、郡庁所在地のリバンで最初に会ったビム・クマリ・ブラ・マガルさんだった。当時、ネパール会議派の活動家である弟がマオイストに殺害され、“難民”としてリバンに住んでいた。ネパール会議派(民主)に属する彼女は、今回の政変で罷免されたデウバ内閣で副大臣を務めていた。どうやら、他の記者たちは誰も彼女に気づいていないらしく、一人でバイクに寄りかかっている。モンゴル系の彼女は、青いサリー姿だった。私が近づくと、彼女も気づいて話しかけてきた。政党側からデモをリードする責任を負って来たのだが、他の仲間がまだ来ていないらしい。彼女と話していると、しだいに他の記者も加わって、私たちの周りにジャーナリストの大きな輪ができた。しばらくすると、ネパール会議派の元国会議員ゴビンダ・カデル氏が輪の中に加わった。カデル氏はクルタ・スルワルの正装である。2人へのインタビューのようになり、あちこちから質問が飛び交った。すると、まもなく、警官が輪のなかに割り込んできて、「こちらに来てください」と2人を連れて行こうとした。ビム・クマリの腕を婦人警官がとろうとすると、彼女は逆らって、スローガンをあげはじめた。2人は警官に無理やり連行されて、近くに止めてあったバンに入れられた。
その直後、今度はアサンの北側から、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニストの女性リーダーで、12年前に交通事故で亡くなったカリスマ的なマダン・バンダリ書記長の妻でもあるビデャヤ・バンダリが、スローガンをあげながら警官に捕まった。さらに、人民戦線ネパールに属する女性活動家4人も逮捕される。こうして、アサンの周辺で、パンフレットをばら撒きながらスローガンが聞こえたと思ったら、警官に逮捕されるという光景が次々に続いた。誰かが捕まるたびにカメラをもった記者とノートを持った記者が追いかけていって、写真を撮り、逮捕者の名前を聞き取る。これが約40分のあいだ続いた。この間に40人以上が逮捕されて、バンに入れられて連れ去られた。このうち、9人が元国会議員・元大臣である。女性が約1ダース捕まった。
大勢の逮捕者が出たが、今日のプログラムはこれまでで最も人の目を引き付けた。14日に次のプログラムが予定されているが、昨日会ったUMLの中央委員は、さらに大きな規模でデモを出すと言っていた。しかし、同じ状況下でデモをするのであれば、大勢の人がデモに出るほど、大勢が逮捕される結果になるのは目に見えている。
夕方、日刊紙の友人と会う。話題が二人の大臣、つまり、昨日からインドを訪問中のラメシュ・ナス・パンデ外相と、R.K.マイナリ教育スポーツ相に及んだ。そもそもパンデ外相はインド政府に呼ばれて行ったのか、それとも「招かれざる客」として行ったのか不明だが、インドのシン外相と会見したあと、ネパール駐在のインド大使館が出した声明の内容からは、インド政府が当初から示している“懸念”の態度を変えていないことが明らかだ。声明には「インドだけでなく、他のネパールの友好国も非常に懸念をしている」とある。パンデ外相は、「まもなく民主主義を復活させる」という国王のメッセージを持って、インドに行ったらしいが、インド側の反応を見る限りは、これを信用していないと思われる。一方、マイナリ教育スポーツ省は、昨日、レポーターズ・クラブで開かれた記者会見で、「外国が国王の政変に批判的なのは、外交がうまくいっていないためだ」と、間接的にパンデ外相を批判する発言をした。この発言の裏に何があるのか。あるいは国王の意図を反映しているのではないかとも考えられる。1週間くらい前から、内閣改造の噂が流れているが、その前兆なのか。