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速報
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ネパール 非常事態宣言! 小倉清子の緊急手記 第9回(05/03/14)
 2月1日、ギャネンドラ国王が非常事態宣言を発し、全権を掌握したネパール。国際電話、インターネットなどの通信は遮断され、カトマンズ在住の小倉清子との連絡も途絶えた。2月8日、ようやく通信が復活。
 通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。


3月9日(水曜日)
 不思議なことに、1週間前にバルディヤでの交戦に関する声明を送ってきて以来、マオイストからの声明がぷつりと途絶えている。私だけではなくて、友人の記者たちに聞いても、どこにも届いていないらしい。アルガカンチ郡サンディカルカ襲撃後、すぐに何らかの党声明を出すものと思っていたのだが、この沈黙は何なのだろう。「状況に変化がなかった場合」、3月14日から開始するとされていた無期限全国ゼネストに関しても、何のアナウンスもない。この話題について、日刊紙の記者と話していたら、彼は「政府側がマオイストのメールをブロックし始めたのではないか」という。そんなことが可能なのだろうか。

 夕方になって、あちこちのメディアで「マオイストが声明を出した」という噂が広まった。私のところにも、外国メディアの記者2人から問い合わせがあった。「受け取っていない」と答えるが、やはり誰に聞いても、ここ1週間、声明が来ていないという。あるいは、どこかで重要な会議でも開いているのだろうか。


3月10日(木曜日)
 ネパール・ジャーナリスト連合がファックスで、雑誌「ヒマール」の記者J.B.プン・マガル氏が昨日、カピルバストゥ郡で拉致されたという知らせを伝えてきた。2月半ばから同郡西部の村々で続いている「マオイスト狩り」により、村に住めなくなった人たちの取材をしに行って拉致されたという。「マオイストが拉致した」と伝えているメディアもある。J.B.プン氏とは昨年、ロルパ郡にマオイストの取材に行った帰り、郡庁所在地リバンで会った。ブトワルに住み、調査報道に興味をもって、あちこち取材に出かけていると話していた。将来有望な若手記者という印象をもった。数ヶ月前、「ヒマール」にマオイストの子供兵士の記事を書いていたが、それが原因なのか。あるいは本当にマオイストが拉致したのか。以前、カピルバストゥに近いナワルパラシ郡でやはりマオイストを攻撃する事件が起こったとき、その背後に地元のギャングがいるという最初の記事を書いたのが、確かJ.B.プン氏だったと思う。

 元国会議長のダマン・ナス・ドゥンガナ氏が今日、トリブバン空港から米国へ発とうとして搭乗を阻止された。例の「カトマンズ盆地の外に出てはいけない」とするリストに彼の名前があるためだ。アメリカの大学でマオイストの武装闘争に関するpaperを発表することになっていたと聞くが、一体こうした措置に何の意味があるのだろう。何日か前にドゥンガナ氏に電話をしたとき、「自宅が監視下に置かれている」と話していた。法律家でもある氏は、最高裁にこの措置を「違法」とする訴訟を起こそうとしたが、最高裁はこれを受理しなかった。

 夕方、カトマンズに来ているピュータン郡とロルパ郡の地元記者数人と会う。マオイストの本拠地である彼らの郡で、マオイストが今何をしているかに興味がある。ピュータンの記者が面白いことを話していた。マオイストの党上層部がゲリラが持つマシンガンなどの銃器を集めているというのだ。対話開始のために政府に渡すことが目的なのか、あるいは、近い将来、どこかで大規模な襲撃を計画しているのか。今の状況を考えると、後者の可能性が高い。ロルパではしばらく前から武装ゲリラの活動が見られないという。平野部の方に降りていっている可能性が高い。

 夜のBBCラジオネパール語放送で、ネパール会議派が「インドに亡命したり、地下に潜行したりせずに、表で活動せよ」という指示を党員に出したことを知る。今日開かれた党の作業委員会で決定したことだという。3月20日から毎日、全国で「サティヤグラハ運動」を開始するのだという。これはマハトマ・ガンジーが非暴力運動の一環として行ったもので、ネパール会議派はパンチャヤト時代から頻繁に行ってきた。行政機関の建物の前に座り込み、逮捕されるという運動である。もう一つの最大政党ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)は、逆に「なるべく逮捕されずに活動するように」という方針をとっている。どちらの方針が正しいのか。党の性格が異なる2党では方針が異なって当然という気もするが、しかし、一般の人たちの政党に対する不信がぬぐいきれない状況で、どんなに大勢逮捕されたところで、それほど意味はないと思う。政党リーダーが逮捕されても、市民の同情や共感を引くとは思えない。


3月11日(金曜日)
 朝から小雨が降る。昨日のネパール会議派の決定について詳細を聞くために、同党の青年組織の会長を務めるリーダーと会う。彼の自宅には、政変直後から私服の治安部隊が頻繁に訪れ、電話も切られたままである。彼は政変直後に家を離れ、今も地下に潜行して活動している。昨日同党が出した“指示”は、昨日カトマンズ盆地にいる4人の作業委員会メンバー(Dr.ラム・サラン・モハト、バル・バハドゥル・ライ、マヘシュ・アチャルヤ、ゴビンダ・ラジ・ジョシ)が集まって決めたことであることがわかった。同党最高機関である作業委員会のもう1人のメンバーであるサイラジャ・アチャルヤ女史は、なぜか、これまで開かれた会議に一度も出てきていないという。彼女は1990年の民主化運動時にも、共産系勢力との共闘に反対し、運動の消極的であったことを思いだす。しかし、「地下に潜行せずに逮捕されよ」という指示を決定したメンバー4人の顔ぶれを見ると、どうも現状を正確に把握できるリーダーたちとは思えない。これが正しい決定なのか疑問である。私が会った青年リーダーも「今は党組織を強化すべき時期で、リーダーらが逮捕されるとそれが困難となる」と決定に不満を示していた。先日会った、同党学生リーダーのガガン・タパ氏が「自党にリーダーの考えは政変後も1インチも変化していない」と話していたのを思い出す。しかし、この青年組織のリーダーにしても、ガガン・タパ氏にしても、ネパール会議派内にもきちんと現状を把握してリーダーの弱点を理解している若手リーダーがいる。なんとか、彼らが活躍できる素地がNC内にもできるといいのだが。

 今日中に、自宅監禁下にある政党の党首クラスのリーダーが何人か釈放されるという情報を聞く。夕方になって、シェル・バハドゥル・デウバ前首相とプルナ・バハドゥル・カドカ前内相、ネパール会議派(民主)のスポークスマン、ミレンドラ・リザル氏らが釈放されたことがわかった。ネパール会議派のスポークスマン代理に電話をすると、同党のコイララ党首は釈放されていないという。UMLのマダフ・クマール・ネパール総書記は昨日、雑誌「NEPAL」のカメラマンがカトマンズ市内で車で移動しているところを目撃されている。今日の新聞によると、2月1日から自宅監禁下にある総書記は、高血圧などの持病のせいで具合が悪くなりティーチング病院に行ったのだという。コイララ党首も長い監禁生活で、彼の活力のもとである「党員と会う」ことが禁じられ、精神的に参っていると聞いた。党首が同居する家の家主でもある甥のササンカ・コイララ医師と、やはり医師でタイ人の妻は治安部隊により自宅に入れてもらえず、外で生活しているという。

 カピルバストゥ郡で何者かに拉致された「ヒマール」記者のJ.B.プン・マガル氏が今朝解放された。BBCネパール語放送のインタビューに本人が答えた話しによると、彼は自らを「マオイスト」と名乗るグループに拉致されたあと、目隠しをされてインド側に連れて行かれた。肉体的虐待こそ受けなかったが、彼が書いた記事に関して、「なぜ書いたのだ」と脅迫を受けたという。J.B.プン本人も、犯人がマオイストとは思っていないようで、マオイスト狩りの背後にいるグループに拉致されたものと確信しているようだった。


3月12日(土曜日)
 午後4時から、昨日釈放されたデウバ前首相が、郊外のブダニルカンタにある私邸で記者会見を開いた。デウバ前首相は、1990年の民主化前と後で生活が一変した政治家たちの1人である。政党活動が禁じられていたパンチャヤト時代には、小さな貸し部屋に友人たちと雑魚寝をしていたものだと聞く。ところが、民主化後、内相を1度、首相を3度務めた結果、郊外に“豪邸”を建てた。首相の給料だけではとても可能なことではない。内相時代に結婚したラナ家出身のアルジュ夫人が“高収入”を得ているためだというが、“高収入”をもたらしたのは、やはり夫の“大臣”の力だったのだろう。民主化後、一般国民が政党政治家への信頼をなくした原因の典型がデウバ氏の豪邸にある。

 高い塀に囲まれた“豪邸”に時間ちょうどに行くと、すでに大勢の記者が集まっていた。先日釈放されたプラカシュ・サラン・マハト前外相や、やはり昨日釈放されたネパール会議派(民主)のスポークスマン、ミレンドラ・リザルらもいる。デウバ前首相は玄関の前に置かれた椅子に座り、彼の後ろに家族が控える。まず、「国王の動きを前もって知っていたか」という質問に、デウバ氏は「噂では聞いていた」と答え、国王から何度か辞任を求められていたことも明らかにした。さらに、「(総選挙実施するまでの期間として)自分には3ヶ月した与えられなかったのに、国王は自身に3年間の時間を与えた」と冗談のように話す。首相時代からそうだが、この政治家には真剣味というものが皆無である。記者の質問にも、きちんと答えるつもりが全くない。「王室ネパール軍が欲したことをすべてやってあげた」などという発言を平気でする。これほど人間的に軽い人物が3度も首相になるとは、ネパールと言う国にとって、これほど不運なことはない。今の状況を生み出した事に関して、デウバ前首相の責任は非常に重い。彼は首相の席にいたときに、何度か“歴史的な過ち”を犯している。最大の過ちは言うまでもなく、2002年5月に国会を解散したことである。この国会解散が現在の状況を生み出すすべての元となっている。その後、ネパール会議派を分裂させたり、昨年、国王任命による3人目の首相になったり、国王がここまで強くなる基盤を作った最大の責任はマオイストとデウバ前首相にあるといっても過言ではない。

 ちゃんとした答えが返ってくるとは期待していなかったが、デウバ氏に聞きたいことが二つあった。一つは、2002年の国会解散を過ちと認めるのか否か。もう一つは、彼の政党であるネパール会議派(民主)が要求する「全党政府」は何のためなのかということだ。国会解散については、私が質問をすると「古いことばかり話しても仕方がない」という答えを返してきた。「何のために全党政府を樹立するのか」と聞くと、「相談するため」という答え。政治家として答えにならない答えばかり、嫌気がさすほどだ。母党であるネパール会議派との再合併に関する質問が出ると、同党のコイララ党首を非難しだした。挙句の果てに「メディアが自分をおとしめた」と大声を上げて記者団にどなりだす始末だ。質問に真剣に答える気がないのであれば、なぜ記者会見など開くのか。さらに、後でわかったのだが、この記者会見の直前に、インドの記者2人の外国通信社の記者1人の3人だけを先に呼んで個別でインタビューに答えていたことがわかった。これでは記者会見を開く意味が全くない。


3月13日(日曜日)
 ネパール会議派につづいて、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)が党員に対して「合同プログラムに参加して、逮捕されるように」という指示を出した。昨日開かれたカトマンズ盆地コーディネーション委員会が決定した方針だ。「なるべく逮捕されない」という方針を突然変えた理由は不明である。あるいは、ジュネーブで国連の人権問題の会議が今週から始まることを見越してのことなのか。大勢の活動家の逮捕をジュネーブまでメッセージとして伝える意図なのか。

 午後1時から、バルワタルでスールヤ・バハドゥル・タパ元首相を党首とする「ラストリヤ・ジャナシャクティ党」の結成式があった。昨年12月に右派の国民民主党を離党したタパ元首相らが結成した新党である。副党首には、財務・外務大臣経験者のプラカシュ・チャンドラ・ロハニ氏が就任した。新党の党旗はブルーの地に白い満月。ブルーは平和を意味するのだという。昨年タパ党首が国民民主党を離党したとき、動きの背後には王室があると噂された。「デウバ首相の次の首相はタパ」という噂も流れた。ところが、2月1日の政変後、タパ党首は「筆頭閣僚になってほしい」という王室の申し入れを拒絶している。それだけでなく、「国王の側近が国王に謝ったアドバイスをした」とする内容の声明を出して、間接的に国王の動きを非難した。新党は絶対王政ではなく、立憲君主制を党方針とするという。しかし、党内には絶対王政を支持する政治家も混じっているようだ。結成式は、タパ党首が宣言文を読み上げて、30分ほどで終わった。そもそも、非常事態宣言発令下で政治的な集会が禁止されているなかで、どうやって結成集会を開けたのか不思議に思っていたが、記者会見をすることもなく、会は慌てて終了された。

 午後3時半、見知らぬ人から電話がかかってきた。またしても友人が逮捕された情報を知らせる電話だった。ネパール会議派の学生組織NSUの幹部の一人が「2時45分にマイティデビから逮捕された」と言う。連行される直前に私への伝言を頼まれたようだ。「市内某所の警察署に連行された」と聞いて、すぐに駆けつける。拘置所に移される前で、手続きが終わっていないせいか、5分ほど会って話しをすることができた。今日午後3時から予定されていた学生のデモに行く途中、歩いているところを逮捕されたのだという。NSUの組織のなかに潜り込んでいるCID(私服警察)が漏らした情報で捕まったらしい。学生組織の内部には、2,3年前からかなりの数の官憲が潜り込んでいるらしい。今になって彼らが“私服”であることがわかったと、大勢の学生リーダーが漏らしていた。“私服”の情報漏えいにより、すでに何人もの学生リーダーが逮捕されている。

 夕方、E−メールを開くと、マオイストの党首プラチャンダからの声明が届いていた。10日間の沈黙を破って知らせてきたことは、明日から一月間に及ぶプログラムの開始の宣言だった。「3月14日から4月1日までの19日間、全国で武装闘争を強化するとともに、各地で交通ゼネストや経済封鎖を開始する。4月2日から12日まで、連続11日間の全国ゼネストを決行する」とある。彼らは2月13日から15日間、交通ゼネストを実施したばかりである。またもや国民は陸路での移動に苦労し、経済的な打撃を受けることになるのだろうか。


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