通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
3月25日(金曜日)
今日は春の水かけ祭り「ホーリー祭」。早朝から水を掛け合う子供たちの声でにぎやかだ。朝かかってきた電話で、昨夜、スールヤ・バハドゥル・タパ元首相がインド大使の夕食会で心臓発作を起こしたと聞く。発作そのものは深刻なものではなかったらしいが、この夕食会の出席者の顔ぶれが興味深い。先日、ラストリヤ・ジャナ・シャクティ党(国民勢力党)という新党を結成したばかりのタパ元首相に加えて、シェル・バハドゥル・デウバ前首相、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)のジャラナス・カナル総書記代理、ネパール会議派のチャクラ・バストラ元外相が招待されていたという。タパ元首相は王制を支持する旧パンチャヤト派政治家だが、国王の「2月1日政変」後に間接的に国王の動きを批判する声明を出している。昨夜のムケルジ・インド大使の夕食会には、どうやら絶対王政に反対する政党政治家ばかり招かれたらしい。完全に地下に潜行していると言われているUMLのジャラナス・カナル総書記代理まで出席したとは、夕食会で何が話し合われたのか知りたいところだ。
例の「カトマンズ盆地の外へ出してはいけない」とされている約200人のリストに名前がある知り合いの学者3人が今日、インドのゴアで開かれるセミナーに出席するために飛行機でニューデリーに発つことになっている。主要メディアにはすでに知らされており、官憲側が彼らを飛行機に搭乗させるかどうか注目される。その3人とは、トリブバン大学のロクラジ・バラル教授、クシリュナ・カナル教授、クリシュナ・ハッチェトゥ助教授だ。3人とも国内外に名の知れた政治学者である。インド駐在ネパール大使も務めたことのあるバラル教授は、「2月1日政変」時ニューデリーにおり、帰国したところをトリブバン空港で官憲に拘束され、18日間拘禁されている。3人ともネパール会議派のシンパだが、マオイストの最大要求である新憲法制定のための「制憲議会選挙」の実施を積極的に主張してきたことが、「リスト」に名前が載った理由だと予測できる。今日の搭乗に関しては、果たして本当に阻止されるか否か、官憲側を試すための試みだと聞いた。
3人は結局、ジェット・エアーのニューデリー行きフライトへの搭乗を阻止された。セキュリティー・チェックを受けて構内に入ったところを私服警官に阻止されたという。3人に同行することになっていたジャーナリスト1人と某NGOの人権活動家1人は搭乗を許可された。3人が参加することになっていたセミナーは「南アジアの民主主義」がテーマである。バラル教授はセミナーの主賓として招待されていたと聞く。しかし、学者の移動まで制限するとは、国王率いる政府は一体、何をそんなに恐れているのだろうと思う。
夕方、ホーリー祭の水掛けもそろそろおさまってきたころを見計らい、ある人に会いに行く。マオイストの党内で起こっていることに関して、いろいろと意見を交わしたいと思っていた人物だ。運良く、昨夜、彼のほうから連絡があり、今日会うことになった。マオイストの内部事情に詳しいだけに、彼の分析は、いつもなるほどと思うことが多い。今回も面白いことを話した。どんな政党も、思想の違いが処分の対象となることはない。バブラム・バッタライがあれほど厳しい処分の対象にされたことの裏には、必ず何か、党内の勢力争いに関することがあるはずだというのだ。彼はバッタライと“バーダル”ことラム・バハドゥル・タパが組んで、党首プラチャンダに対抗しようとしたことがプラチャンダの脅威となったのではないかという。そう言われてみれば、確かに、バッタライが保持していた地位をすべてデブ・グルン政治局員に任せたことが不可解である。本来であれば、マオイストの中央政府にあたる統一革命人民評議会の議長の席は、トップリーダー5人からなる常備委員会メンバーで、グルンよりも党内の地位が上の“バーダル”に任せられるべきだ。“バーダル”が8年前に同様の処分を受けて一般党員にまで降格されたあと、再び党内で昇格するのに、バッタライが多いに援助をしたと言われている。プラチャンダが党内外に名前の知られたこの二人のリーダーが、党内で勢力を強めるのを恐れたということは大いにありうることだ。しかし、本当のところはどうなのか。カトマンズにいたのでは、なかなか真実はわからない。
3月27日(日曜日)
SLC(School Leaving Certificate)試験が今日から始まる。去年は、ちょうど今頃、ミャグディ郡の郡庁所在地ベニにいたのを思い出す。去年の3月20日深夜、強制的に参加させられた大勢の“ボランティア”を含めた約6000人のマオイストの部隊がベニにある警察署や郡施設を同時襲撃。翌朝11時まで約12時間、ベニのバザールを支配下に置いた。マオイストの人民解放軍による最大規模の襲撃の詳細を取材するために、襲撃の4日後、ベニに行った。ベニに滞在した数日のあいだ、バザールの横を流れるミャグディ川に毎日のように上流から遺体が流れてきたのを思い出す。襲撃後、逃げるマオイストを追った治安部隊の掃討作戦で死亡したマオイストの遺体と見られた。バザールのはずれや裏山を登ると、マオイストの遺体を埋めたところを野犬が掘り返し、あちこちで異臭を放っていた。バザールの東にあるカリガンダキ川の川原には、45人のマオイストの遺体がまとめて埋められているのが、小山となって見て取れた。この襲撃でマオイストは100人近い死者を出している。襲撃直後のベニで、人民戦争の実態を五感で感じ取った。強烈な体験だった。“戦争”とは、“死”以外の何ものでもない。これほど単純なことを、おそらくほとんどの政治家やメディアは理解していない。ベニを離れるとき、タクシーの中からカリガンダキ川の川原に流れ着いた遺体を見ながら、自然と涙が流れたのを思い出す。「一体、彼らは何のために死なねばならなかったのか」。
昨年、ベニにいるあいだ、SLCの試験が始まった。私が滞在した宿にも試験を受けに来た大勢の生徒が長期滞在していた。バザールのあちこちに襲撃の傷跡がまだ生々しく残るなかで、彼らの若さと屈託のなさにほっとさせられたことを思い出す。襲撃で死んだマオイストの多くは彼らとほぼ同年代である。何が彼らの運命を分けたのか。このベニ襲撃の取材のあと、私はマオイストを最後まで徹底して追いかける決心をした。
また、パルパで悲劇が起こった。ホーリー祭のために寄付を集めていた生徒3人が私服の治安部隊に殺害されたのだという。寄付を求めるために、たまたま止めた車に乗っていた治安部隊が、彼らを「マオイスト」と思い発砲したのだという。治安部隊側はこの事件について、「交戦によりマオイストが3人死亡」と伝えた。しかし、これが事実と異なることを、果敢にも日刊紙「カンティプル」の記者が自分のblogで明らかにした。同紙の記者2人が運営するこの「United We Blog!」は、報道規制のために新聞で書けないことをばんばん書いて、カトマンズのネット利用者のあいだで今、密かな話題となっている。情報源は記者の“裏情報”と言ってもいい。はっきりと「報道の自由」と「民主主義」というモットーを打ち出しているのも気持ちいい。
3月28日(月曜日)
夕方、ネパール会議派の学生リーダーと会う。同党の学生組織NSU(ネパール学生連合)の中央委員会は先日、「解散された国会の復活」を運動のスローガンとすることを決定したという。私が会った学生リーダーはこの決定が「あまりにも要求として弱すぎる」と言う。おそらく、自宅監禁下にあるコイララ党首の意思に従ったつもりなのであろうが、この要求に一般の国民がどれだけ従うと思っているのか。あまりにも非現実的だ。他の政党の学生組織が党幹部とは個別に明確な意見を打ち出しているのに対して、NSUは、ネパール会議派のスシル・コイララ幹事長が、グルラジ・ギミレ前会長とガガン・タパ前幹事長を解任して新しい幹部と入れ替えてから、骨抜き状態だ。リーダーシップが弱すぎる。ネパール共産党統一マルキスト・レーニニストが、この機会を利用して、着実に党組織強化を試みているのに対して、ネパール会議派の幹部連は今に至るも危機感がない。今日も、カトマンズ市内や各地で同党の“サティヤグラハ運動”のプログラムがあり、100人を超える党員が逮捕された。「もう、逮捕される人もあまり残っていない」と、この学生リーダーは嘆く。「(刑務所の)外で運動をするよりは、(刑務所の)中に入ったほうが楽」という考えのリーダーさえいるらしい。こんなことでは、「国民を運動に巻き込む」どころではない。しかし、愚かな政党リーダーたちは、一体いつになったら理解するのだろう。
3月29日(火曜日)
朝8時から、ネパールジャーナリスト連合の設立50周年にちなんだ平和デモがある。集合場所のブリクティマンダブに行くと、結構大勢の人が集まっており、少々驚いた。ネパール大学教員協会のメンバーらも混じっている。総勢500人ほどはいるだろうか。「報道の自由」を謳ったバナーをもったタラナス・ダハル会長らを先頭にクラマンツのまわりを一周する。スローガンなしで、警官のバンが付き添った「許可を得たデモ」である。2月1日政変後、非常事態宣言により最も大きな影響を受けているジャーナリストが行う初めての大規模なデモだ。参加者の顔ぶれを見ると、面白いことに政府系メディアの記者もずいぶん混じっている。「報道の自由がある」ことを誇示するために、政府が許可したのだろうか。
デモは再びブリクティマンダブに戻り簡単な集会となった。デモ・集会が禁止されているはずなのに、さすがに官憲は“やかましいメディア関係者”を抑えるばかりでは能がないと実感したのであろうか。デモのあと、話題の「United We Blog!」(http://www.blog.com.np)の運営者の一人で、日刊紙「カンティプル」の記者ディネシュ・ワグレと話す。実は彼には以前、週刊誌「ネパール」のために一度インタビューを受けたことがある。20代半ばの意気のいい若手記者だ。このBlogはディネシュと彼の学生時代からの友人で英字紙「カトマンズ・ポスト」の記者ウズワル・アチャルヤが2人で昨年10月1日に始めたものだ。開設当初は個人的な話をBlogに書くだけだったが、「政変」後は新聞が表立って書けない政治や人権の話題を載せて、あっというまに人気Blogとなった。このBlogには常連情報提供者として、日刊紙「カンティプル」や「カトマンズ・ポスト」の名の知れた記者が10人近く協力している。報道規制のために新聞に掲載できない情報や、メディアの舞台裏の話が面白い。「報道の自由」と「民主主義の復活」がBlogのモットーだ。読んでいると、ごく普通のネパールの若者の正義感が真っ直ぐに感じ取れる。ディネシュは、先日、3日間、観光地チタワンとポカラを訪ねて、チタワンで見た「マオイストの村」とパルパで起こった治安部隊による3人の生徒殺害事件をBlogに書いた。この事件はポカラの「カンティプル」記者が本社に送ったものの、掲載されなかったものをBlogで取り上げたものだ。Blogとはいえ、実名での掲載に恐れはないのかと聞くと、覚悟のうえでやっていると言う。マオイストのウェブサイトのように、政府側にブロックされる可能性も考えて、すでに別のBlogを登録してあると言う。勇気ある仕事に喝采を送りたい。
午後、某所で開かれた知識人の集まりに“傍観者”として出席させてもらう。出席者は10人もおらず、呼ばれたわけでもないのに勝手に出席したせいか、どうも肩身の狭い思いをした。しかし、さまざまな分野の第一人者が何を考えているのかわかり、非常に興味深かった。その中の一人が、実に的確に現状を表現していた。「国王は(筆頭閣僚の)トゥルシ・ギリが運転する車に乗って、未舗装の下り坂を下っている。この車にはブレーキがなくて、下り坂のどん詰まりでクラッシュするまで止まらない」というのである。つまり、どんなに国際社会が非難しようと、政党が運動をしようと、マオイストが武装闘争を強化しようと、国王は自分の決心を変えることはない。しかし、最後には自分のしたことで地面にクラッシュするというのだ。実に言い得て妙の言葉である。別の一人は行政の軍事化が進むことを懸念する発言をしていた。政府は、全国に5つあるregionや14あるzoneにパンチャヤト時代のように、行政長官を任命する用意をしているが、王室ネパール軍の退役軍人らが任命されるのではないかというのだ。すでに郡レベルでは、郡庁所在地にある軍の部隊の士官がどんどん強権化していると言われている。最終的に、地方行政体にまで軍の人間を浸透させたあとに、選挙をするのが国王の意図ではないかというのである。いずれの出席者も、ここまで来ても事態を深刻に理解しようとしない政党リーダーへの不信を表していた。民主化運動の道のりは長いという意見が大半だった。
5政党が準備を進めている民主化15周年の4月8日の合同デモを見られないのは残念だが、明後日3月31日から西ネパールに取材に出かけることにした。カトマンズにいてバイアスのかかったニュースを見たり、噂を聞いたりしているだけでは、なかなかこの国で起こっていることの本質が見えてこない。4月2日からはマオイストが連続11日間の全国ゼネストを開始するといっているが、この間、マオイストの影響が強い山地の村を歩いて、カトマンズ盆地の外で何が起こっているのかを見てきたい。マオイスト党内の対立も、どこまで深刻なのか、この目で確かめてきたい。2週間後に、この取材の報告をさせていただいたいと思う。