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速報
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ネパール 非常事態宣言! 小倉清子の緊急手記 第14回(05/04/18)
 2月1日、ギャネンドラ国王が非常事態宣言を発し、全権を掌握したネパール。国際電話、インターネットなどの通信は遮断され、カトマンズ在住の小倉清子との連絡も途絶えた。2月8日、ようやく通信が復活。
 通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。


3月31日(木曜日)
 朝一番のブッダ・エアーの飛行機でバイラワに向かう。マオイストの取材でロルパ・ピュータン方面に行くときには、たいてい、ピュータン郡のカランガに住む友人を通じてジープをハイヤーし、飛行場までジープに迎えに来てもらうのだが、今回は明後日から11日間連続のネパールバンダ(全国ゼネスト)が始まるために、バイラワまで来てくれる地元のジープがないと言う。しかし、たまたま今日、この友人の隣人が所有するトラックがブトワルからピュータンに戻るため、友人がこのトラックへの便乗をアレンジしてくれた。ところが、ブトワルに着いて、伝えられていたホテルに行くと、トラックの出発が遅れており、今日中にはピュータンに着かないという。途中で一泊するよりは、今日はブトワルに宿泊して、明日一番のバスで出かけたほうが良いだろうと考えたのだが、明日バイクでピュータンに戻るこのトラックの所有者が、彼のバイクの後ろに乗せて行ってくれると言う。何度か通ったことのあるピュータンの未舗装の山道が頭に浮かび、5、6時間もバイクの後ろに乗って耐えられるかなと不安になったが、何よりもバスよりもかなり早く到着することが魅力的で、彼のオファーを受けることにした。

 今回の取材の目的は、マオイストの“アダール・イラカ(本拠地)”に近いピュータン郡北部の村を歩いて、彼らのさまざまなレベルの人民政府に関する情報を収集することである。ある学術プロジェクトが出版することになっている本に、人民政府をテーマにした記事を書くことになっている。それに加えて、今話題になっている「バブラム・バッタライ処分事件」の真相を、フィールドで探りたい。「11日間連続ネパールバンダ」の期間に合わせた取材行だが、この期間中には交通がまったくストップすると予測される。何か緊急事態が起こっても、後戻りが効かないわけだが、ネパールバンダのあいだの地方の様子を経験する良い機会でもある。取材内容の詳細は記事のほうに書かせていただくが、11日間のバンダのあいだにピュータンで経験したことをここで記したい。


4月1日(金曜日)
 朝6時、まだ薄暗いうちにバイクでブトワル市を出発した。タライの4月というのに、身体に当たる風がとても冷たい。ほぼ1時間おきに熱いお茶を飲むために茶店に寄らねばならなかった。どの店でも、明日から始まる11日間のネパールバンダのことが話題に上った。「1日のバンダで500ルピーの損失がある」と嘆く店主もいた。2月1日の政変の後に、やはりマオイストが連続15日間、交通ゼネストをしたときにも、ハイウェーを走る車がほとんどなく、商売にならなかったと言う。カピルバストゥ郡に入ると、軍の装甲車や大勢の兵士を乗せたトラックが道路を走るのを見た。9時すぎ、ダン郡のバルワンに着いた。ここからハイウェーを離れて北に折れる道を行くことになる。舗装道はここまで。ここから未舗装の悪路が始まる。バイクの後ろに座っていると、振動で身体のあちこちが痛くなる。トラックの所有者であるバイクの運転手は、マオイストの人民戦争の被害者でもあった。160万ルピーで購入したトラックをマオイストに焼き討ちされ、川に落とされたのである。マオイストが彼のトラックを焼き討ちした理由は、カランガにある彼の家を農業開発銀行に貸したことだった。政府が2年後に彼に支払った補償金はわずか15万ルピーである。

 ピュータン郡に入り、1時間ほど続く長い山道を過ぎると、バグダラという小さな峠のバザールに出る。バザールの北側の入り口には、細い木材を組んで作ったゲートがあった。コミュニストの赤い旗とバナーに書かれた内容から、すぐにマオイストが立てたものとわかる。政府側の治安部隊はこうしたゲートを見つけるとすぐに壊す。したがって、ゲートの存在は、「ここはマオイストの地域で、しばらく治安部隊が来ていない」ということを示すわけだ。昼食のために食堂に入ると、マオイストらしき男女がトラックの所有者である私の同行者に話しかけてきた。その中の一人、分厚いレンズの眼鏡をかけた年長者らしき男が、私に「アビヤーン(キャンペーン)のために来たのか」と聞いてきた。「私は政党の人間ではないから、アビヤーンはしない」と答える。別の若い男のマオイストが、私のことを「ルクムの集会で見たことがある」と言ってきた。2年前ルクムに取材に行ったときに、郡人民政府宣言集会で私のことを見かけたのだろう。自分はジャーナリストであると話すと、「ジャーナリストという人種は、どこへでも出かけるものだ」と、男が年長者に説明した。少々、人を見下したような話し方だったため、これ以上の会話はしないほうがいいと思い、同行者に出発を促した。

 ここからピュータンの郡庁所在地カランガまで、約2時間の山道が続く。明日から長期のネパールバンダが始まるためか、いつもより多くのバスがダン方面に向かうのに会った。どのバスも屋根まで乗客で一杯である。午後1時半、山頂に横たわるカランガのバザールに到着した。カランガに来るといつも泊めてもらっている友人の家は、郡警察署と郡行政長官事務所のすぐ前にある。ピュータンの西に隣接するロルパ郡では、郡庁所在地リバンを訪れる外国人は全員が警察署に登録をしないといけない。非常事態宣言下であることもあり、ここピュータンでも官憲に呼ばれるだろうと思っていたのだが、夕方になっても一向にその気配はない。結局、帰るまで官憲側から質問を受けることも呼び出されることもなかった。

 カランガではSLC(School Leaving Certificate)試験が進行中だった。郡も警察も駐屯していない村での試験実施は不適と考慮して、ピュータンでも試験のセンターをカランガに置いていた。試験のあいだ、村から来た大勢の生徒がカランガにある親戚の家や宿に下宿しているという。

 カランガで期待していたことの一つが、マオイストが放送しているFMラジオ「ジャナ・ガナタントラ・ネパール・ラジオ(人民共和国ネパールラジオ)」を聴くことだった。距離的には、ロルパかルクムのどこかから放送されている「ビセス・チェトラ(特別区)」の放送局のほうが近いはずだが、地形の関係か、ここカランガでは受信できず、ベリ・カルナリ地区からの放送を受信できるという。放送は毎日午前と午後、6時半から8時までである。早速、夕方6時半を待って、ラジオをつけてもらう。予想したよりもクリアーに聞こえる。最初はニュースである。「明日から始まる11日間のネパールバンダのために、さまざまなところで灯火デモや爆弾の爆発を実施した」というのがトップニュースだ。「ジャジャルコト郡で人民解放軍の中隊が結成された」というニュースもある。国際ニュースとしてイラクでの爆弾テロ事件を伝えていた。20分間のニュースのあと、劇と「アヌロード・ジャナサンギ(リクエスト・人民の歌)」というプログラムが続く。歌のリクエスト・プログラムでは、「コムレード誰々に送る」というリクエストに従って歌が放送される。マオイストのFM放送局は移動して放送していると聞くが、リクエストの手紙をどうやって送っているのかと思わず不思議に思う。午後8時からのネパールテレビのニュースで、ネパール会議派のギリザ・プラサド・コイララ党首を含む200人以上の人が釈放されたことを知った。


4月2日(土曜日)
 朝食のあと、カランガを離れることにした。郡庁所在地に滞在していたのでは、マオイストと接触できない。そのため、とりあえず下のビジュワル・バザールに降りることにした。2月1日政変のあと、マオイストはビジュワルにある政府系役所4箇所を襲撃して焼き討ち。その際、電話線を切断した。そのため、ビジュワルとその周辺の村の200を越える電話のラインが今も不通となっている。とりあえずビジュワルに着いてから様子を探るしかない。

マオイストに襲われて負傷をしたサリ村のリケンドラ・B.C.さん(左)とジャナク・B.C.さん(右)
 今日はマオイストによるネパールバンダ(全国ゼネスト)の初日である。カランガとビジュワルのあいだを走るバスもすべてストップしているために、徒歩で山道を降りる。カランガの下の盆地に横たわるビジュワルのバザールは、薬局を除くすべての店が閉まっていた。日差しが強い日中、外を歩く人もほとんどおらず、バザールは閑散としている。ビジュワルに住む知り合いの日刊紙記者を訪ねると、マオイストに襲われて負傷した村人2人がビジュワルにある病院で手当てを受けて近くの宿に滞在しているという。会いに行くと、頭を白い包帯で覆われた男性2人がベッドに横たわっていた。2人はロルパ郡と隣接するサリ村出身のリケンドラ・B.C.さん(45歳)とジャナク・B.C.さん(31歳)だった。2人とも、ピュータンやバクルンなどでマオイストの武装闘争に反対するキャンペーンを続けている政党、人民戦線ネパールの党員だ。2人はマオイストに襲われた経緯を話し出した。

 マオイストは昨年12月、ロルパ郡の西部で91キロにおよぶ車道の建設を開始した。道路の建設に、マオイストは近隣の郡に住む一般の村人を“ボランティア”として動員しているが、2人が住むサリ村でも、6日前にマオイストが村人を集め、道路建設のためにロルパに行くよう要請した。サリ村の人たちは翌日、集会を開いてロルパに行くか否か話し合った結果、「自分の村の道路を作るならともかく、なぜ、ロルパまで行かねばならないのか」という意見が大勢を占め、歩いて往復6日もかかるロルパには行かないとする決定をした。この集会でリケンドラさんは「強制的に寄付をとったり、人を脅したりするやり方はマルクス主義に反することだ」とマオイストを批判する演説をしたと言う。集会を終えて従兄弟のジャナクさんと知り合いの村人の家に寄ると、リケンドラさんを探しに来たマオイストが二人を家の外に出して、ククリ(ネパール刀)や棒で殴りだした。2日後、村人は重傷を負った2人をピュータンで唯一の病院があるビジュワルに連れてきた。このあと、マオイストは「ロルパに行かないと家を爆破する」と脅して、サリ村の村人48人を強制的にロルパに連れて行った。ロルパに行く人はくじ引きで決めたという。

 もともと同じ政党だった人民戦線ネパールと、マオイストことネパール共産党毛沢東主義派は思想的には近いにもかかわらず、犬猿の仲にある。一種の近親憎悪といってもいい。人民戦線ネパールの地下組織であるネパール共産党エクタケンドラ・マサルの党首で、極左系共産主義リーダーとして知られるモハン・ビクラム・シンの出身地であるピュータンは、今でも人民戦線ネパールの基盤が強い。歴史的背景を見ると、ロルパがマオイストの“base area”となった大きな要因の一つに、ピュータンとの地理的な近さがある。マオイストのトップクラスのリーダーのほとんどは、モハン・ビクラム・シンと同じ政党にいたとき、彼から大なり小なり思想的な影響を受けている。シンはマオイストの“グル(先生)”といってもいい存在だ。一方で、ロルパに近いにもかかわらず、最近になるまでマオイストがピュータンで強い基盤を築けずにいたのは、この土地に今でもシンの政党の支持者が多いからだ。

 ビジュワルは、政府とマオイストの一種の“緩衝地帯”といっていい。治安部隊が駐屯するカランガから徒歩約1時間と近い距離にあるために、マオイストはこのバザールには常駐していない。しかし、壁に書かれたマオイストのスローガンや店先に張られたマオイストの声明文など、彼らの存在があちこちに垣間見える。実際、マオイストは夕方、よくこのビジュワルのバザールに現われるという。治安部隊がパトロールに来るのはたいてい朝であるため、マオイストは夕方から夜にかけてバザールに来るらしい。

バグドゥラ入り口にマオイストが立てたゲート
 午後3時過ぎ、ビジュワルで彼らを待ったところでいつ会えるのか不確定のため、こちらから彼らを探しに行くことにした。地元の知り合いに同行してもらう。徒歩で北に向かう。約1時間ほど歩くと、バグドゥラという小さなバザールに出る。ここでもネパールバンダの影響で、茶店と薬局以外の店は閉まっている。奥まった茶店に入ると、今朝、近くの高校の校長がマオイストに拉致されていったという。SLCの試験を村のセンターで行うべきとするマオイストの学生組織の主張に反して、郡庁所在地カランガで行ったために試験官でもある校長を拉致したのだろうと人々は話している。マオイストはこの校長を北のほうに連れて行ったという。ここからさらに半時間ほど北に歩いたところで、2人組のマオイストに会った。20代前半と見られるこのうちの一人が、ビジュワルを含む3つの村を担当するマオイストの責任者“シシル”だった。こちらの目的を伝えると、明日朝9時ごろ、このさらに先にあるバザールに来るよう言われた。今日は一旦、ビジュワルに戻ることにする。

 夜、宿の隣室から演説をするような声高な話し声が聞こえてきた。聞きたくなくとも会話の内容が耳に入る。どうやら、隣室に滞在しているキャンパスの試験監督官と、マオイストの学生が話しをしているらしい。声高に話しているのはマオイストの学生の方で、来週から始まるキャンパスの試験をカランガではなくて、ビジュワルにあるキャンパスで行うよう主張している。「安全はわれわれが確証するから、下(ビジュワル)で試験をするべき」と話す学生。監督官のほうはたまに静かな声で口を挟むだけで、何を言っているのか聞き取れない。「上(カランガ)でやるのなら、妨害する」という脅しの言葉さえ聞こえてくる。30分ほどして学生は、「これから安全なシェルターに行かないといけないから」と言って部屋を出ていった。それにしても、夜とはいえ、郡庁所在地からわずか1時間の距離にあるところで、マオイストがこれほど自由に闊歩しているとは。もっと離れた村の状況は推して知るべしである。


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