通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
4月5日(火曜日)
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| マオイストが製造したピストル | |
昨日来た道を途中で折れ、さらに3時間ほど歩いて目的の村に着いた。アスタは私を山の中腹にある大きな家に連れていった。ここで食事をするのだと言う。家の庭にはマオイストと思われる10人ほどの若者がいた。そのなかの3人がピストルを入れた皮の肩掛けベルトの手入れをしていた。3人ともジャナ・ミリシア(人民義勇軍)のメンバーだった。ジャナ・ミリシアは人民解放軍の予備軍であるとともに、村の治安を守る役目を持つ。襲撃のときには“ボランティア”として参加するのだと一人が話す。ピュータン郡内には4つの村にそれぞれ20人ずつのジャナ・ミリシアの小隊が結成され、4つの小隊からなる1個中隊ができたばかりだと言う。それとは別に、ピュータンには本隊である人民解放軍のエリート部隊、中部師団第一連隊に属する1個中隊もある。人民解放軍には現在、3つの師団と9つの連隊、31の大隊がある。党首プラチャンダは、これとは別に全国で10万人のジャナ・ミリシアの部隊を結成すると宣言しているが、ピュータンの状況を見るかぎり、目標達成には程遠い感じを受けた。
ジャナ・ミリシアの一人にピストルを見せてくれるかと聞くと、快く取り出してくれた。手に持つとどっしりと重い。「どこ製なのか?」と聞くと、「ここで作ったのだ」と言う。西ネパールのどこかにあるマオイスト自身の銃器工場で製造したピストルだった。「インドからの攻撃(空襲)にそなえて、武器の製造を進めているのだ」と1人が話す。彼らは本気でインドが空襲をしてくると信じているのだろうか。私たちがピストルや弾を見ていると、里帰りしているらしいこの家の娘の3歳ほどの小さな息子がピストルをほしがった。1人がピストルの入った肩掛けベルトを子供にかけてやると、子供は重いピストルを取り出して、「ドゥシューン、ドゥシューン」と撃つ格好をした。どこでこんなことを覚えたのだろう。
家主が作ってくれた食事はキャベツとジャガイモのカレーにご飯というシンプルなものだった。ロルパなどと違って、ピュータンはいい米がとれるのか、どこで食べてもご飯が美味しい。食事のあと、ピュータン北部のある村から来ていた村人民政府議長にインタビューをした。彼らがどういうプロセスで人民政府を作るのか、どういう活動をしているのかなどを聞く。ダイレク郡などでは、村レベルで投票で人民政府の議長らを選んでいるところがあるが、ピュータンでは郡レベルでも村レベルでもまだ投票は行われたことがない。彼の村でも“話し合い”で人民政府のメンバーが決められた。“話し合い”の結果、当時、村で唯一の党員だった彼が議長になった。人民政府の最も重要な仕事は「戦いをサポートすることだ」と言う。なかでも主な仕事は、戦いのために人員や食糧を調達することだとこの議長は話す。大規模襲撃のときには村人を“ボランティア”としてかりだすことも人民政府の仕事だ。2002年のアルガカンチ郡庁所在地サンディカルカ襲撃のときには、この村から30人の村人が“ボランティア”として参加したそうだ。最近は武器購入などの党資金として、村人から現金を集める「特別寄付キャンペーン」というのを実施した。この村には30万ルピーの分担金が課せられたが、10万ルピーしか集まらなかったそうだ。現金収入源がほとんどない村人にとって、100ルピーを出すのさえ大変なことだ。マオイストは“寄付”と言うが、それが強制的に集められたことは明らかである。
午後になり、アスタが属するピュータン郡のマオイストのカルチャー・グループがやってきた。庭でダンスの練習が始まった。今晩、近くの学校で歌とダンスのカルチャー・プログラムがあるのだという。マーダル(太鼓)とアコーデオンの音楽に合わせて少女たちが踊る。少女たちは皆、アスタと同じようにおかっぱ頭だ。“コマンダー”の女性サリタを除いて、カルチャー・グループの女性メンバーはほとんどが10代。グループを率いるサリタはロルパ出身の女性だった。4ヶ月前にやはりマオイストの夫が“内部事故”により死亡したばかりだという。サリタは1人娘で、ロルパの家には母親が1人でいる。マオイストは結婚したカップルに対して、戦時であることから「なるべく子供を作らないように」という達しをだしている。サリタにも子供がなかった。マオイストは配偶者を亡くした人に再婚を奨励しているというが、サリタはどう考えているのだろう。
練習が終わると、カルチャー・グループのメンバーらに“サトゥ”と茹でたジャガイモが配られた。サトゥは大豆やトウモロコシを粉状にしてギー(バター)と混ぜたもので、一種の非常食だ。この近くに来ている人民解放軍の部隊の食糧用に作ったものの余りだという。昨年のベニ襲撃のとき、襲撃の合間にマオイストがこのサトゥを食べているのが目撃されている。私も食べてみる。きな粉のような味だ。畑仕事の合間の食糧としてもよく食べられているらしい。
夕方、カルチャー・グループと一緒に、プログラムが開かれる学校に向かった。小麦の刈り取りの季節で、日も落ちたというのに、まだあちこちの畑で村人が作業をしている。途中で、サリタは私を一軒の家に連れていった。サリタと私だけ、ここで夕食をとってからプログラムに行くのだという。やがて、家の人が「カザ(おやつ)だ」と言って、甘い味付けをした“キール(ミルク粥)”をもってきてくれた。村では贅沢な食べ物だ。ありがたく頂く。暗くなってから、土間に座り、家の家族たちと食事をする。ご飯とジャガイモのカレーだけだが、美味しい米が食べられるだけでも大変な贅沢である。ロルパの北部を歩いたときには、主食がトウモロコシの粉をお湯で練った“アト”しかなく、食欲をなくして困った。一般の村人の家で食事を提供してもらうマオイストは、食事のあと、必ず食器を自分で洗う習慣があるが、この家の家族は「誰であれ、客に食器を洗わせるわけにはいかない」と言ってきかなかった。
月明かりもない暗い夜道をサリタと歩いて学校に行った。他の家で食事を済ませたカルチャー・グループのメンバーたちが校庭で準備をしていた。ジャナ・ミリシアの“ドゥルバ”がマイクを使って、「午後8時からプログラムが始まる」ことを知らせている。他の村でもこうしたカルチャー・プログラムを見たことがあるが、日中は畑仕事があるために、どこでもたいてい、夜の食事が終わったころを見計らって始まる。すでに、村人たちが集まり始めていた。電気がないため、ケロシン灯一つが照明源だ。観客用に校庭に長いすが置かれ、メンバーたちは教室で着替えをしている。
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| ダンスの練習をするカルチャー・グループ | |
午後10時半、プログラムが再開した。いくつかダンスが披露されたあと、マオイストの学生組織のピュータン郡会長の演説が始まった。2月2日に治安部隊により殺害されたピュータンの女性リーダーの名を上げて、「マランタナでカルパナ・ギリが私たちのためにセントゥリー(見張り)に立ってくれている。だから、私たちはこうして安全にいられるのだ」と話す。スピーチは延々と続いた。さすがに1時間近く続いたころには、飽きて会場を立つ人も出始めた。私も頭痛がし始め、頭を抱えてうずくまっていると、昼間インタビューをした村人民政府の議長が気づいて、「先に帰ったらどうですか」と言う。彼の心遣いに甘えることにした。何人かのマオイストが学校のすぐ裏にある家に連れて行ってくれた。カルチャー・グループの女性メンバーたちも今晩、この家に泊めてほしいとマオイストがリクエストする。私には台所の横に置かれた木の台が“ベッド”としてあてがわれた。メンバーたちは家の外の軒下の土間に布団を敷いて雑魚寝をするようだ。彼らは12時すぎにプログラムを終えて帰ってきた。マオイストは毎晩、こうして食事や宿泊を求めて民家を渡り歩く生活をしている。求める方も、求められる方も、何度も続けばうんざりするのではないかと思うのだが。

