通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
4月8日(金曜日)
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| カランガに行く途中からビジュワルを望む | |
今回の取材は、前半で目的の大半を達することができた。あと、1日か2日ピュータンに滞在して、カトマンズに戻りたいところだが、今日はまだ「11日連続ネパールバンダ」の7日目。あと5日間は車が走らないので移動ができない。あきらめるしかない。とりあえず、今日はビジュワルに戻ることにしたのだが、その途中で村人民政府を樹立していない地域の党責任者との会見を試みることにした。ディーパク・K.C.氏の夫人バワニ・バスネットさんと1人の少年マオイストとともに、朝8時ごろに出発する。歩いていると、あちこちで村人がバスネットさんに挨拶をする。マオイストのリーダーとしてよりも、長年教師を務めた人物として尊敬を集めているような印象を受けた。
小さなバザールでバスネットさんらは別の方向をとり、私はここで食事をとることにした。とりあえずサモサとダヒ(ヨーグルト)を食べて空腹を満たしていると、タイミング良くこの地区の党責任者である“スバス”がやってきた。彼は、この地区の3つの村のACS(エリア・コミッティ・セクレタリー)で、村人民政府が機能していないこの地域の党責任者でもある。私は彼にインタビューをするつもりだった。この地域では、現在、村レベルの人民政府が存在しない。一度、そのなかの一つの村で人民政府が樹立されたが、2002年に、議長と副議長がシェルターで寝ているところを治安部隊に殺害されて以来、機能していない。この後、スバスがこの地域の責任者として送られてきたのだという。
食事のあと、バザールのはずれにある家の2階でスバスと話をした。スバスの話で私の興味を引いたのは、“ムッダ(訴訟)”の話だった。村レベルの人民政府の主な仕事の一つに、村人がもってくる訴訟に判決を下すという“司法”の役割がある。スバスの話によると、夫婦間の喧嘩から殺人のケースまで、週に6件から7件のペースで、さまざまなケースが持ち込まれているという。この地域では、酔った夫が妻を殺したケースが2件あったが、一番多いのが土地に絡んだ揉め事らしい。殺人や政治に関連したケースは郡レベルの人民政府に持ち込まれるが、よほど複雑なケースでなければ、他のケースはたいてい村レベルで判決が下される。相続争いなどで、国の裁判所で訴訟を起こして負けた人が、マオイストに訴訟を持ち込んで逆転して勝ったケースも少なくない。ネパールの法律では、結婚して家を出た娘には親の財産の相続権がないが、親に財産分与を求めて、マオイストに訴訟を持ち込んだ娘もいるという。マオイストの“法律”では、親の財産相続権は男女平等となっている。
お金の貸し借りに絡んだケースや、夫が“カンチ妻(後妻)”を連れてきたと、妻が訴えるケースも多いという。マオイストの“法律”では婚外恋愛も厳禁されている。校長が自分の学校のスタッフと恋仲になったことがわかり、村人の前で「恋人と別れる宣言」をさせられたケースもあった。2人とも既婚者で子供もあったが、その後、2人はカトマンズに逃げて村に戻っていないらしい。どんなケースも、マオイストは村人を集めて聞き取りをする。その内容から判決を下すわけだが、その基準となるのは、もちろんマオイストの“法律”である。マガラト自治区では、各郡に“判事”と“弁護士”が1人ずつ決められ、現在トレーニングを受けているところだとも聞いた。
スバスとの話を終えたあと、私はマオイストの“ビダーン(規則)”と、中央人民政府である統一革命人民評議会ネパールが作成した人民政府に関するドキュメントをもらうことになった。彼らの手元にないために、スバスとともに半時間ほどのところにある村に行くことになった。15分も歩かないうちに、4人の男性が別々にスバスに近づいてきた。全員がスバスに訴訟を持ち込んだ人たちだった。新しい訴訟を持ち込んだ人に、スバスは「内容を記した申込書を書いてもってくるように」話した。この人が「文字が書けない」と答えると、「近所の学校の先生にでも頼んで書いてきなさい」と言う。もう1人の人は預かった訴訟の「申し込み書」をスバスに渡していた。内容を見ると、「誰々から10万ルピーを騙し取られた」と訴えている。他の2人は、すでに持ち込んだ訴訟がどうなっているのか問いただしていた。1人は土地に絡んだ土地所有権の争い。1人は3200ルピーを騙し取られたというものだった。
ドキュメントが届くのを待つために、高台にある1軒の家に入った。家族の好意的な対応から、マオイストの支持者の家なのだとわかる。家の人がレモンティーとバナナを持ってきてくれた。遅れて入ってきたマオイストが「昨夜、ルクムで襲撃があったとニュースで聞いた」と言う。ルクム郡カラ村にある治安部隊のキャンプをマオイストが12時間以上にわたって襲撃したらしい。ラジオで午後3時のニュースを聞こうということになった。ルクムはピュータンの西に隣接するロルパ郡の北にある郡で、私の記憶によれば、カラ村はロルパに近いところにある。ここにいるマオイストは全員が襲撃のことを何も知らなかった。毎年、マオイストは4月6日を「民主化運動記念日」としてネパールバンダをしたり、何らかのプログラムをしてきた。今年はこの日をはさんで11日間連続のネパールバンダがあったため、4月6日前後にどこかで大規模襲撃を決行するだろうと予測していた。しかし、カラ・キャンプを再び襲撃するとは。マオイストは2002年にこのキャンプを襲撃して、大敗北を喫している。険しい山頂に設置されたカラ・キャンプの襲撃は物理的に非常に難しいはずだ。なぜに再び襲撃を試みたのか。戦略的に、彼らの“アダール・イラカ(本拠地)”のど真ん中にあるこのキャンプは、何が何でも追い出したいということか。
午後3時のラジオネパールのニュースを聞くと、「昨夜から今朝6時にかけて、マオイストが襲撃し、治安部隊がそれを撃退した。近くにマオイストの遺体18体が見つかった(後に、政府側は100人以上のマオイストの遺体が見つかったと伝えた)」と伝えている。治安部隊側の被害に関しては何も伝えていない。スバスは「これではわからない。夜BBCのニュースを聞かないと」と言う。マオイストも夜8時45分からのBBCネパール語放送を当てにしているとは。山間のこの村では、マオイストのFM放送もキャッチできない。もっとも、マオイスト側も政府側も真実を報道するとは思えない。一応、中立報道をするBBCが一番信頼できることをマオイストも認めているようだ。
結局、ドキュメントは見つからず、明後日、私が再びこの村まで取りにくることになった。それまでにスバスが探しておいてくれるという。スバスと別れて、私は1人でビジュワルに向かった。
4月9日(土曜日)
ネパールバンダ8日目。初日と同様、ビジュワル・バザールの店は薬局以外すべて閉まっている。バスも車も、救急車以外は1台も通らず、バザールを歩く人も少ない。今日は、宿で洗濯をしたり、記録を整理したり、もらったドキュメントを読んだりして、のんびりと過ごすことにした。時間がたつのがいやに遅い。午後2時すぎ、突風が吹き始めた。雨は降っていないが雷が鳴っている。風が止むのを待って、午後4時ごろ、地元の知り合いと、歩いて半時間ほどのところにある電話をしに行った。ビジュワルの電話はマオイストがラインを切断してから復旧していない。電話をするためには、ジムルク川を渡ってカランガ側に行かなければならない。一番近い電話は、カランガ側の山を少し登ったところにあるという。
電話が置いてある農家に行くと、3人が順番を待っていた。皆、ピュータンの外に電話をするために来た人ばかりだ。私の番が来て、まず、カトマンズの留守宅に、そして、友人の記者2人に電話をして、ルクムのカラ襲撃に関する情報を聞く。今日、王室ネパール軍がヘリコプターでカトマンズとネパールガンジから新聞記者をカラに連れて行ったという。その情報が入るまでは、何も情報がないという。実は今朝、ビジュワルで新しい噂を聞いた。11日連続ネパールバンダが終わった翌日から、今度はマオイストが5日間の「ダン郡バンダ(ゼネスト)」をするというのだ。ダン郡はピュータンの南西に接した郡で、ダン郡を通るハイウェーを通らないとどこにも抜けられない。もし、これが真実だとしたら、来たときの道は通れないため、アルガカンチ側に抜けてバイラワに行かないといけないだろうと考えた。この噂が本当かどうか確かめるために、ダン郡のゴラヒに住む友人に電話をしたところ、「その噂は聞いているが、本当かどうかはわからない」と言う。噂が本当であれば、アルガカンチ側へ抜けるためにシープをハイヤーしないといけない。余計な出費と余計な心労、本当にうんざりする。
4月10日(日曜日)
遅めの朝食のあと、マオイストのスバスからドキュメントを受け取るために、再び北に向かった。半分以上の畑で小麦の刈り取りが終わり、田植えに備えて、牛を使って田んぼを耕す人もいる。外国人が1人で歩いているのが余程めずらしいのか、道端の村人たちにじっと見られる。一昨日も通ったのを覚えていて「毎日、どこへ行くの」と話しかけてくる人もいる。まさか、「マオイストに会いに行く」とは答えられないので、黙って微笑みを返すだけにする。
言われていた村の食堂に着くと、村の子供たちがテレビのヒンディー映画に見入っていた。水着姿の女性やレーシングカーが出てくる映画だ。ここでは、こういう娯楽をマオイストはまったく統制していない。去年12月に取材に行ったダイレク郡などでは、マオイストがヒンドゥー寺院を閉鎖したり、葬式のときに伝統的な音楽を鳴らすのを禁止したりしていたが、ここピュータンのマオイストはそこまで厳しくないらしい。村人に聞くと、“プザ”も自由だし、ヒンドゥー教の祭りも自由に祝っているという。宗教・文化に関しては、郡によってずいぶん方針が異なるようだ。
食堂の主人がテレビのチャンネルを「チャンネル・ネパール」に変えると、ちょうどカラ襲撃のニュースをやっていた。大勢のマオイストの遺体が映される。食堂にいた村人の1人が、「昨夜のBBCのニュースで、BBCのレポーターが91人のマオイストの遺体を見たといっていた」と言う。さらに、昨夜のBBCニュースでは、マオイストのスポークスマンのクリシュナ・バハドゥル・マハラがインタビューに答え、「われわれの側の犠牲者は18人だけだ」と話したという。
午後3時すぎ、ようやくスバスがやってきた。カラ襲撃のニュースのことを話すと、「昔のカラ襲撃のときの映像を見せたのだろう」と信用しない。Dr.バブラム・バッタライの処分の話しも「軍が党を分裂させるためにしているプロパガンダだ」といって、全く信じていない様子だ。スバスが「今日、ビジュワルに私服の治安部隊が来たと聞いたが、見かけたか」と聞いてきた。「まったく知らない」と答えるが、彼らにはこうした情報はすぐに伝わるらしい。
暗くなる前にビジュワルに着かないといけないため、スバスがもってきてくれた貴重なドキュメントをもらって帰途についた。途中で、「ダン郡バンダ」の噂について、何人かの人が話していた。噂はここまで伝わっているらしい。しかし、ビジュワルで聞いたのとは少し異なっており、13日からではなくて、「15日から5日間の連続バンダ」なのだという。この噂を確かめようと、スバスにも聞いたのだが、「ダン郡バンダに関しては、ダンのマオイストに聞かないとわからない」と言っていた。バンダの理由は「先日、ダンで5人のマオイストが治安部隊に殺されたために5日間バンダをするのだ」という。果たして噂にすぎないのか、どうなのか。いずれにしても、12日にネパールバンダが終わったらすぐにピュータンを離れることにした。
