通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
4月27日(水曜日)
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| 自宅監禁状態から釈放後、党本部で記者会見をするネパール共産党統一マルキスト・レーニニストのマダフ・クマール・ネパール総書記 | |
ネパール会議派(民主)の若手リーダーの一人が、「デウバ前首相が午前10時すぎに汚職統制王室委員会に連行されるらしい」と教えてくれる。何人かの党員が抗議デモをするから、見に行くよう言われる。しかし、行くのは止める。他の仕事が忙しいこともあるが、個人的には「デウバ前首相は逮捕されて当たり前」という感覚がある。取り立てて騒ぐのもばかばかしいという気分だ。汚職統制王室委員会が違法が合法かという議論は別にして、汚職をした政治家はやはりちゃんと罰せられるべきである。デウバ前首相の15年前の生活と、現在の“豪邸”での生活のあまりにも大きな格差を見ると、彼が潔白であるとはとても信じられない。
夜になって、またしても「大物5人逮捕」のニュースが入ってきた。夕方、ネパール会議派(NC)のラムサラン・マハト元外相とチャクラ・バストラ元外相、ディル・バハドゥル・ガルティ元上院議員の3人、そして、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)のスバス・ネムバン元法相とラグジ・パンタ前労働相の5人がカトマンズのディリ・バザールのレストランで会合中に逮捕されたのだという。1人を除いて全員が大臣経験者。確かに大物である。このうち、ガルティ上院議員とネムバン元法相には、ピュータンに取材に行く前に会ってインタビューをしていた。両者とも、他政党とのコーディネーターとして民主化運動に重要な役割を果たしていた。5人は、NCとUMLのあいだで現在進行中の運動に関連して、共通したアジェンダを決めるための会合を開いていたらしい。特に、リーダーの大勢が拘留されているNCにとって、この3人のリーダーの逮捕はかなりの打撃のはずだ。他党とコーディネートできる幹部クラスのリーダーが、これでほぼ全滅状態である。
4月30日(土曜日)
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| ネパール・ジャーナリスト連合の総会初日。出席した政党リーダーたち。中央がネパール会議派のコイララ党首。その右手がUNLのネパール総書記とダマン・ナス・ドゥンガナ元国会議長。コイララ党首の左手にスールヤ・バハドゥル・タパ元首相と国民民主党のラナ党首。 | |
新しい展開に関して、政党関係者やジャーナリストら何人かと電話で意見を交わす。ほとんどの人が「非常事態を解除したのはインドを含む国際社会からの圧力をかわすため。事態が大きく改善するとは思えない」という疑念をもっていた。王室が出した非常事態宣言解除の告知文を見ても、報道の自由、移動の自由、集会の自由など、2月1日政変以降、停止されていた基本的人権が復活するのか否か明確に記されていない。疑念を裏書きするように、カトマンズ行政当局は今日、カトマンズ市内の主な通りで、デモや集会・座り込みなどの抗議行動をすることを禁止するお触れをだした。報道統制に関しては、政変の直後に出された告知が「6ヶ月間」という期間を提示している。あと3ヶ月残されているわけだ。いずれにしても、政府の意図は時がたてば明らかになるだろう。
夕方、E−メールを開けると、マオイストのプラチャンダ党首の声明が届いていた。声明だけでなく、14ページにおよぶ文書もついている。内容を見て驚いた。なんと、例の「バブラム・バッタライ処分事件」に関するプラチャンダ側の説明ではないか。プラチャンダはバッタライとの党内抗争を認め、バッタライが「党内のポストからはずされた」こと、そして処分後も「党中央の仕事をしている」ことを明らかにしている。そして、声明のあとに付けた文書で、バッタライとの党内拘束の顛末の詳細を説明している。やはり、党内抗争の最大の原因は、ピュータンのマオイストが話していたとおり、マオイストの中央人民政府である統一革命人民評議会の議長にプラチャンダが就任する決定にあったようだ。バッタライは、「党」「人民解放軍」「人民政府」の人民戦争の“3つの武器”のすべてをプラチャンダが掌握し、勢力を1人の個人に集権化させることに強く反対した。プラチャンダは文書のなかで、バッタライが「この意見の相違を党外に広報しようとした」、「人民戦争最後の戦略的攻撃という重要な段階にあるときに、党内で派閥抗争を起こそうとした」と、厳しく批判している。その批判の仕方から、プラチャンダとバッタライのあいだの対立がかなり深く深刻なものであることがよくわかる。プラチャンダは声明のなかで、「一般の人にも議論に参加してほしいために、これを公表することにした」としているが、今回の党内抗争は党外の人たちよりも、むしろ、党内のメンバーに大きな影響を与える可能性が高い。プラチャンダはバッタライが「党内抗争を起こそうとしている」と非難しているが、派閥強化を進めているのは、むしろプラチャンダの方ではないかという印象がある。この出来事により、党内の“不満分子”が一気に表に出る可能性が否定できない。
非常事態宣言が解除されて24時間もたたないうちに、またしても、“無法状態”を示すニュースだ。西ネパールのカンチャンプル郡マヘンドラナガルにあるキャンパスで、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニストの学生組織ANNFSUの学生が会合を開いていたところを、王室ネパール軍が包囲して発砲。ANNFSUの中央委員を含む3人の学生が負傷した。軍側は「マオイストがいるという情報に従って発砲した」と説明しているが、そんな言い訳は信用できない。
夜のカンティプル・テレビのニュースで、3ヶ月半前にアルガカンチ郡サンディカルカからマオイストに拉致されて以来行方不明になっていたCDO(郡行政長官)とLDO(地方開発オフィサー)の2人が、ICRC(赤十字国際委員会)の仲介で解放されたと伝えていた。2人は拉致後、ピュータンを通って、ロルパ郡タバン村方面に連れて行かれたと聞いていた。今になって解放された理由は明らかにされていないが、現在、ロルパで治安部隊が大規模な“掃討作戦”を展開していることと無関係ではないだろう。ロルパからカトマンズに来た村人の話によると、治安部隊はマオイストの“首都”タバン村や、ガルティガウン村に一時的なキャンプを置いて、村人に医療サービスを提供するなどの活動を行っているという。村人の心を勝ち取って、マオイストを追い出す作戦なのだろうが、一時的な駐屯では彼らが去ったあとにまたすぐマオイストが戻ってしまう。これまでと同じことの繰り返しである。
5月2日(月曜日)
今日も電話で起こされた。時計を見るとまだ午前6時。ネパール・ジャーナリスト連合からの電話だった。明日から始まる総会の知らせだ。再びベッドに入り、うとうとしていると、午前7時前にまた電話が鳴った。今度は、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニストの党本部からだった。2月1日から自宅監禁下にあったマダフ・クマール・ネパール総書記が昨夜、釈放されたという知らせだ。今日正午に党本部で、ネパール総書記の記者会見があるという。新聞を見ると、釈放のニュースは出ていない。深夜に釈放されたものらしい。他の政党のリーダーも釈放されたのかどうかを確かめるために、ネパール会議派と人民戦線ネパールの党員の家に電話をするが、詳細がわからなかった。新聞を見ると、ネパール会議派のラム・チャンドラ・ポウデル元国会議長らには、さらに3ヶ月間の拘留延長命令が出されたという。ポウデル元国会議長はタナフン郡で拘束されて、拘置所に拘留されていたが、具合が悪くなったためにポカラの病院に移されて監禁状態にあると伝えられている。
今年はモンスーンが早く到来するのだろうか。ここ数日、雨が降ったり、曇り空が続く。正午近くに土砂降りとなった。昨日のメーデーは大きなデモが出たようだ。「抗議運動禁止令」が出ているカトマンズの中心部は避けて、ディリ・バザールからナヤ・バネスワルに行き、汚職統制王室委員会がある国際ビレンドラ会議場前で集会を開いたようだ。さすがの当局も、メーデーのデモには手を出さなかったようだ。
正午すぎ、ネパール総書記の記者会見に出るためにUMLの本部へ行く。会見にはネパール総書記と、やはり今日、自宅監禁下から釈放されたアムリト・クマール・ボハラ常備委員も出席していた。会見の初めに、スポークスマンのプラディプ・ネパールが「総書記は長い監禁生活で疲れているので、時間は30分に限らせてほしい」と話す。確かに、小柄なネパール総書記は、さらに一回り小さくなったようにも見える。「今の事態をどう解決すべきだと思う」という最初の質問に対して、総書記は「国王はマーグ19日(2月1日)の動きを取り下げるべき。国民に完全に主権を戻して、full democracy(完全な民主主義)を実現しないといけない」と答えた。3ヶ月間、監禁状態にあるあいだ、外部とはまったくコミュニケーションがとれない状態にあると聞いていたが、政党が「完全な民主主義」を共通のスローガンにして運動を進めている事に関しては、すでに説明を受けているらしい。この言葉を何度も繰り返した。「党内で指導者層に対する厳しい批判が出ているらしいが、どう思う」と私が聞くと、「それに関しては聞いていない」と答えを避けた。
UML傘下にある最大で最も影響力のある学生組織ANNFSUのキムラル・バッタライ会長は、数日前にポカラで、「党の指導者層が変わらなければ、民主化運動は成功しない」と明確に発言している。先日会ったUMLの若手幹部の一人は「総書記が民主化後14年の失敗の責任をとって、辞任することを期待している」と話していた。UMLの学生・若手活動家のあいだでは、党指導者層を入れ替えるべきという意見が強い。しかし、ネパール総書記は相変わらず、あいまいな答えしか返してこない。「2月1日」後、UMLだけでなく、他の政党や知識人のあいだでも、じわじわと根づきつつある新憲法を制定するための制憲議会選挙要求に関しても、ネパール総書記ははっきりとした答えをしない。3ヶ月のあいだ、監禁されているときに、彼は一体何を考えていたのだろう。最後にもう一度この質問をすると、「(民主化後の)14年間のことだけでなく、(歴史の)最初からのことをずっと考えてきた」と言う。「王制については考えたのですか」と聞くと、「それは国民が決めることに従う」という答え。何ともはっきりしない。
記者会見のあいだ、1人の記者の携帯電話の呼び出し音が突然鳴りだした。どうやら携帯電話が再開したらしい。家に戻って試してみると、通じた。3ヶ月ぶりの再開である。とりあえず、カトマンズ盆地内のポスト・ペイドの携帯だけで、プリ・ペイドのほうはまだ再開のめどが立っていないらしい。携帯電話のない生活は、慣れれば、それはそれで静かでよかったのだが。
携帯電話はすべてが再開したわけではなさそうだ。日刊紙「カンティプル」の記者2人に試しにかけてみたところ、両方とも「この電話はincoming call(かかってくる電話)が禁じられています」というメッセージが聞こえ、つながらない。通常電話で本人に聞くと、会社が一括して再登録した電話はまだつながらず、個人で再登録したものは通じたらしい。何人かの政党リーダーの携帯電話もまだ通じないらしい。夜の「カンティプル・テレビ」のニュースで、約1万本の携帯電話のラインがまだ再開されていないと報じていた。政変後に再登録した約45,000のラインのうち、約34,000のラインが再開しただけらしい。政府はなぜに、メディアをこうも怖がっているのだろう。携帯電話を止めたところで、遅かれ早かれ伝わる情報は伝わる。
5月3日(火曜日)
今日は「世界報道の自由の日」。ちょうど1年前の今日、私はマオイストのベニ襲撃の第二回目取材で、ポカラの西にあるミャグディ郡にいた。襲撃の際、マオイストの6000人にもおよぶ部隊がロルパ郡から来たルートをたどって、私と「カンティプル」紙の地元記者はベニのバザールから1日歩き、タカムという村に着いた。ここでミャグディ郡のマオイストの党インチャージに会ったのだが、彼に「これ以上前に進むな。ここから帰れ」と言われた。マオイストの取材であちこちに行っているが、彼らに通行を阻止されたのは、後にも先にもこのときだけである。このルートはドルパタンやダウラギリ峰に行くトレッキングのルートにもあたり、数組の外国人トレッカーのグループが私たちと同じルートを歩いていた。マオイストは彼らから「1人あたり50ドル」の通行税をとって、外国人トレッカーには先に進むことを許可していた。彼らは私には通行税を要求しなかったが(もちろん払うつもりもなかったが)、「ジャーナリスト」という理由で、通行を阻止されたことには非常に腹が立った。しかし、ここで喧嘩をしては、同行している地元記者に迷惑をかけるだろうと考え、大人しくこのマオイストの言うことにしたがってベニに戻った。翌日、同行した「カンティプル」の記者が同紙に、「“世界報道の自由の日”に外国人ジャーナリストが通行を禁止される」という内容の記事を書き、これが同紙一面に掲載された。
この一年間のあいだにさらにいろいろなことが起こった。ネパールのメディアは現在、最大の危機に瀕している。非常事態宣言は解除されたが、報道統制は続いており、FMラジオのニュース放送もまだ禁止されたままである。官憲に拘束され、まだ拘留されているジャーナリストも何人かいる。しかし、ネパールのジャーナリストたちはできるかぎりのことをして頑張っている。心から応援をしたい。
今日と明日、ネパールのジャーナリストのほとんどがメンバーとなっている「ネパール・ジャーナリスト連合」の第21回総会が開かれる。新会長を選ぶための総会だが、ピュータン郡やダン郡など、地方から友人の記者たちも参加している。開会式が始まる午前10時ごろ、会場となっているロイヤル・アカデミーのホールに行くと、ジャーナリストたちはデモをして会場に来たばかりで、「報道の自由と民主主義の復活」を求めるスローガンが書かれた、たくさんのバナーやプラカードが置いてあった。
開会式の主賓はネパール会議派のギリザ・プラサド・コイララ党首だった。昨日釈放されたばかりのネパール共産党統一マルキスト・レーニニストのマダフ・クマール・ネパール総書記や、国民民主党のパシュパティ・シャムシェル・ラナ党首、新党結成したばかりのスールヤ・バハドゥル・タパ元首相らも「特別ゲスト」として壇上にいる。ラナ党首とタパ元首相を除けば、ゲストの顔ぶれは全員が「民主化勢力」である。最初に演説をしたネパール弁護士連合のシャンブー・タパ会長が、これに触れて、「民主主義を敬う人ばかり呼んでくれたことに対して、ネパール・ジャーナリスト連合に感謝したい」と話すと、会場から大きな拍手が起こった。演説のなかで政府批判、国王批判の発言が出るたびに、拍手が起こる。同連合のメンバーの大半が「反体制」であることが明らかだ。ネパールのジャーナリストのなかには、政党と関係のある人も多く、政党の色をもろに出した新聞も多い。しかし、ジャーナリストがマオイストと政府側治安部隊の両者による人権侵害の対象となるようになってから、連合を中心に一致団結しているように見える。「2月1日政変」で最大の影響を受けているのが、政党関係者とジャーナリストだ。“ジャーナリスト嫌い”で知られるコイララ党首も、1000人を超えるジャーナリストを前にして、「どんな絶対政権でも、民主主義を迫害するときに最初の犠牲者となるのがメディアである」と話し、「最後まであなたたちをサポートする」と発言していた。
国王帰国後、内閣改造の噂がある。非常事態宣言解除のあとは、政党を含めた政府の発足というロードマップをインドのシン首相に示したのだろうか。今週中にも何か動きがありそうだという人もいるが、先が読めない。
昨夜、知り合いの学者が1人、イギリスへ向けて発った。先日、インドのセミナーに行くところを、トリブバン空港で「カトマンズ盆地の外に出してはいけない人のリストに名前があるから」と、搭乗を拒否されてニュースになった知識人だ。これまで連絡がないところを見ると、どうやら無事に飛行機に搭乗できたようだ。「移動の自由」は回復したのだろうか。

