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速報
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ネパール 非常事態宣言! 小倉清子の緊急手記 第20回(05/05/19)
 2月1日、ギャネンドラ国王が非常事態宣言を発し、全権を掌握したネパール。国際電話、インターネットなどの通信は遮断され、カトマンズ在住の小倉清子との連絡も途絶えた。2月8日、ようやく通信が復活。
 通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。


5月17日(火曜日)
 ここしばらく、自宅にこもって原稿を書く生活が続いた。いくつかのプログラムに出たほかはほとんど外に出ることもなかったが、決して政界に動きがなかったわけではない。表面で、あるいは水面下でいろいろなことが起きている。あるいは近い将来、新しい変化が起こる可能性もある。

 非常事態は解除されたが、人権に関連した状況はほとんど変わっていない。むしろ、無法状態がますます増強されていることを示す出来事が日に日に起こっている。その際たる出来事が昨日午後、カトマンズで起こった。最高裁が「拘束の理由なし」として釈放を命令する判決を下した学生リーダーが、弁護士やジャーナリスト、学生活動家大勢の目の前で釈放直後に再逮捕されたのだ。NSUの前幹事長ガガン・タパや元会長チャンドラ・バンダリ、ANNFSUの幹事長タクール・ガイレらも同様に最高裁の命令により、釈放された直後に再逮捕されているが、これだけ大勢の目が見守るなかで再逮捕されたのは初めての出来事だ。

5月17日、ネパール弁護士協会の抗議集会で演説をするシャムブー・タパ会長
 ANNFSUの前会長ラジェンドラ・ライと元幹部のルプ・ナラヤン・シュレスタの2人は、国王がクーデターを行った2月1日に拘束され、カトマンズ市内の警察施設にずっと拘留されていた。最高裁は2人を釈放し、違法に拘束したことに対する補償金を払うよう政府に命じ、これに応じてカトマンズ行政局は昨日、2人をカトマンズ地方裁判所に出頭させた。さまざまなメディアの報道や2人に近い活動家から聞いた話しによると、2人の釈放の情報を得た学生グループや人権活動家、弁護士、そしてメディアの人たちは2人の再逮捕を阻止する目的で、地方裁判所の前に待機していた。一方で、政府側は「何が何でも再逮捕する」目的で大勢の警官隊を動員をして、やはり待機していた。2人が釈放されて出てくると、2人を弁護士や活動家が取り巻いて警官隊から守りながら、釈放をモニターするために来ていた国連の車に連れて行こうとした。ところが、警官隊は警棒を使って取り巻いた人たちを殴りながら、ラジェンドラ・ライを拘束、再逮捕してどこかに連れ去った。ルプ・ナラヤン・シュレスタのほうは弁護士らが保護して近くにあるネパール弁護士連合の事務所内に匿った。現場にはネパール弁護士連合のシャムブー・タパ会長もおり、この出来事を「司法と法の独立に対する重大なる攻撃」と激しく非難。同連合は今日午後1時から抗議行動を起こすことになっている。

 しかし、ここまでくると、今のネパールが「無法状態にある」ことは明々白々の事実である。国の最高の司法機関である最高裁の命令に従わないということは、すなわち法律に従わないということだ。政府はマオイストを「無法者」というが、これでは政府も同じ「無法者」である。こんな状況を一体いつまで続けられると思っているのだろうか。

 ネパール弁護士連合の抗議集会は午後1時すぎから、同連合本部の敷地内で行われた。同連合はネパール・ジャーナリスト連合と並んで、「2月1日」後、最も活発に国王率いる政府に対する抗議の運動をしているプロフェッショナルだ。同連合会長のシャムブー・タパ会長の強いリーダーシップと、何者をも恐れずに「言うべきことを言う」態度は、政党リーダーよりもずっとわかりやすく頼もしい。司法界が軍や警察に蹂躙されているという現状があることもあるが、やはり本物の職業人の発言には説得力がある。2月1日政変に関連して逮捕・拘留された政党関係者のなかで、ネパール弁護士連合が窓口になって最高裁へ訴訟を起こしたケースは今日までに約220件に上る。このうち109件は最高裁の釈放命令により釈放されたものの、8人は釈放直後に再逮捕された。政府側の“手口”は、たとえば、ガガン・タパのケースを例にとると、カトマンズ郡行政局が釈放した直後に、再拘束してバクタプル郡に連れて行き、バクタプル郡行政局から拘留命令をとるという姑息なものだ。政府がいかに臆病になっているかが、こうしたやり方からもよくわかる。

 ネパール弁護士連合のシャムブー・タパもそうだが、臆病な政府とは対照的に、果敢に政府批判を続ける人たちがいて、実に頼もしい。日刊紙「カンティプル」のディネシュ・ワグレ記者もその1人だ。彼が運営する「United We Blog !」のテンションが、このところ特に小気味良い。昨日の出来事を評して「これこそ、国王の直接統治だ」と書いていたが、まさにそのとおり。ライとシュレスタが釈放されたとき、DSP(副警視)が2人に対して再逮捕されるよう協力を求めたが、2人がそれをきっぱりと断り、「われわれは完全な民主主義(つまり共和制)を求めている。われわれが脅威だから、逮捕するのだろう」と言い放ったことにも触れている。ディネシュ・ワグレの恐れを知らない、若者らしい正義感が現われていて頼もしい。先日は、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニストの学生組織ANNFSUの本部がラトナ公園の「ラト・ガール(赤い家)」から強制退去させられた出来事にも触れていた。私もよく通りがかりに新聞や雑誌を買っていた、「ラト・ガール」前の路上新聞売りの「その後」を書いたものだ。ANNFSUが退去させられたあと、この新聞売りも追い払われて別の場所に店を開いた。この新聞売り一家に対するディネシュの同情と連帯感がにじみ出てくる。

 「移動の自由」は非常事態宣言解除後も、完全に復活していない。7日には、チトラ・レカ・ヤダフ前国会副議長とUMLのウルミラ・アリヤル元国会議員らの女性グループが、ニューデリーで開かれるジェンダーに関連したセミナーに出席するために飛行機に搭乗しようとしたところを阻止された。14日には、人民戦線ネパールのナバラジ・スベディ元国会議員、UMLのジャラナス・カナルら約10人の政治家とジャーナリストのグループがイスラマバードの会議に行くためにニューデリー行きの飛行機に乗ろうとしたところ、スベディが搭乗を阻止されたために、グループ全員が渡航をキャンセルした。スベディは空港から拘束されてシンガダルバル警察署に拘留されている。

 非常事態宣言解除後も、拘留されている多くの政党リーダー、学生リーダーはまだ釈放されていない。その中の1人が、ある人の手を通じて私に手紙を送ってきた。前日に、「拘留場所を移動する際、1人だけ別にされて行方が不明になっている」とある新聞が報道していた人物だ。手紙には、警察の留置場に入れられて、体の調子が悪く、病院にチェックに連れて行かれたこと。自分の居場所について、他のメディアにも知らせてほしいと書いてあった。すぐに、彼が属する政党リーダーと日刊紙、BBCの記者に電話をして、彼の拘留先を伝えた。政府は「釈放しても影響の少ない人物」をちゃんと選んで釈放している。「共和制」の声を上げている学生リーダーや、制憲議会選挙を支持したり、王制に影響を与えるような発言をしてきた政党リーダーは釈放していない。

 こうした事情を見ているためか、インド政府が非常事態宣言解除を歓迎して、ネパールに対する軍事援助再開を決めたことには驚いた。昔から王室ネパール軍と深い関係のあるインド軍からの圧力が、そうさせたのだろうか。さすがに、連立政権に参加する共産系政党から強い非難の声が出ると、マン・モハン・シン首相は「軍用車などのパイプラインにある軍事物資を送るだけだ」という言い訳をした。ギャネンドラ国王にとって、最大の誤算は、あるいは、去年のインドの総選挙でバジパイ率いるインド国民党が負けたことかもしれない。国王にとってインドの現連立政権はかなり手ごわい相手のはずだ。

5月8日、7政党の合意書にサインをするネパール会議派のコイララ党首
 カトマンズの中央政界では8日に、2002年5月に解散された国会に9割以上の議席をもつ7つの政党(ネパール会議派、ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト、ネパール会議派(民主)、人民戦線ネパール、ネパール労働農民党、ネパール・サドバワナ党(アナンダデビ派)、統一左翼戦線ネパール)が、「解散された国会の復活」を共通のスローガンに、合同運動をすることを宣言した。8日午後4時からこれを宣言するための記者会見があると聞き、カトマンズ市内にあるオーキッド・ホテルに行った。ネパール会議派のコイララ党首やUMLのネパール総書記ら、各党の幹部連が会見場の下の階にある会議室で最後の詰めをしているらしく、記者会見がなかなか始まらない。「意見がまとまらないのではないのか」と疑いの声があがり始めた頃、コイララ党首らが会見場に入ってきた。7政党のトップらが記者たちの前のテーブルに座って、まず、合意書に署名をする。次にネパール会議派のマヘシュ・アチャルヤ元財務相・国防相が合意書を読み上げる。合意書のなかで、1990年の民主化後の政党側の誤りを認め、解散された国会を復活後、全党政府を発足させて、その政府がマオイストと対話をし、必要であれば新憲法を制定する制憲議会選挙の実施まで行うとする解決のための“ロードマップ”を掲げている。合意書の内容にはあいまいな点も多く、聞きたい質問がたくさんあったのだが、合意書を読み上げたあとに質疑応答はなしとして、記者会見が終わった。直後にリーダーの一人を捕まえて聞くと、「多くの質問が出ると予測して質疑応答はなしとすることにした。合意内容に関しては何も答えないことになっている」と言う。彼ら自身も内容が不明確であることをわきまえているということか。私が一番聞きたかったのは、「また同じ汚職議員が国会に戻ることに、国民が納得すると思うのか」ということだった。「国会の復活」のための民主化運動に、一般の国民が参加してくると本当に思っているのだろうか。汚職議員がまた国家から給料をもらうための運動などに、一般の国民が参加するとはとても思えない。

 スールヤ・バハドゥル・タパ元首相が近いうちに返り咲くという噂が広まっている。14、15日と、カトマンズで開かれたプログラムで「近い将来、政治的変化がある。その変化のあとに問題は解決する」という意味深な発言をしたためだ。ここ1週間のあいだにタパは国王と2,3回、会見したとも聞いた。カトマンズ駐在のムケルジ・インド大使がニューデリーに召喚され、カトマンズに戻った直後から、この動きが始まったことから、インド政府が「タパを首相にして、その下で政党に入閣を呼びかける」というロードマップにOKのサインを出したのではないかという見方もある。しかし、いずれにしても合同運動を宣言した7政党がタパ率いる政府に参加するとも思えない。

 思いもかけない再会の場面を目にした。ピュータンに取材に行った際に会った87歳になる“コミュニスト”カグラル・グルン老人が夫人とともに、カトマンズに出てきたのだ。グルン老人と会った際、彼の古い仲間で、ロルパ郡のタバン村出身で元国会議員のバルブラ・ブラ・マガル氏と会わせるから、カトマンズに出てきたときには連絡するようにと私の電話番号を置いてきたのだが、これほど早くに、本当に連絡してきたときには正直言って驚いた。すぐに、カトマンズに住む甥の家にいるというグルン老人と夫人を迎えに行った。バルマン・ブラ氏も今年75歳になる。マオイストが“ネパールの延安”として聖地のように崇めているロルパ郡タバン村を“コミュニストの村”にした当の本人であるバルマン・ブラ老人は、マオイストが人民戦争を始めてからタバンを離れ、カトマンズで半隠遁生活を送っている。グルン老人は約50年前に、極左共産系リーダーのモハン・ビクラム・シンとともにタバン村を訪れて、バルマン・ブラらと会い、この村をコミュニストの村にする種を蒔いた。47年前のネパールで最初の総選挙のときには、タバンの村人全員がネパール共産党から立候補したグルン老人に票を入れた。バルマン・ブラ老人に電話を入れて、グルン老人を連れて行った。45年ぶりの再会だという。しばらくは言葉にならず、手を握り合って見つめあっている。そのうち、互いに知り合いの消息を聞きだした。時間がたつにつれて、かつての“同志”は会話が弾んできた。マオイストに話題が及ぶと、グルン老人が「彼らは俺たちから生まれたようなものだ。だけど、態度が良くない」と言う。バルマン・ブラ老人と同居している娘婿は、昨年、自宅から治安部隊に拘束され、カトマンズ市内の軍施設に半年間拘留されたあと、軍に拷問されて死亡した。他の政党の支持者で、マオイストとはまったく関係なかった。このことをグルン老人には、私から前もって話してあった。老人はこのことがずっと気になっていたらしく、最後に「あんたの娘婿はバグルンの人だろう」とだけ聞いた。「亡くなったのか」とは聞けなかったのだろう。バルマン・ブラ老人も、治安部隊に拷問されて死亡したことには触れず、「そうだ」とだけ返答していた。グルン老人は「もう会うこともないだろう」と言って、バルマン・ブラ老人と別れた。2人とも、マオイストの支持者でこそないが、マオイストが生まれた歴史に重要な役割を果たした人物だ。この2人の再会の場面に立ち会うことができて、本当に幸運だったと思った。


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