通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
6月11日(土曜日)
日刊紙「カンティプル」とその英字紙「The Kathmandu Post」が筆頭閣僚で副首相のDr.トゥルシ・ギリに関するスクープ記事を掲載した。「カンティプル」紙が一面トップで掲載した記事のタイトルは「Dr.ギリ、ブラックリストに」というもの。財務省が作成した国営銀行の悪質な債務不履行者のブラック・リストに、ギリ副首相の名前があることをすっぱ抜いた記事だ。記事によると、ギリ副首相は1986年2月にネパール銀行から、ヒマラヤ・プラスチックという会社の名前で(ギリが保証人となって)200万ルピーを借りて、その後返済しておらず、今年1月までに利息を含めて1740万ルピーの負債に膨らんでいるという。ギリ副首相は、この直後の同年4月にネパールを離れてスリランカに‘亡命’し、その後、今年の政変にあわせて国王に召還されるまでの19年間、スリランカやインドのバンガロールなどで暮らしてきた。同紙は記事のなかで、時期的にギリ副首相が‘亡命’のために金を借り、そのまま返済しなかったのではないかと推測している。財務省は、国営銀行の債務不履行者があまりにも大勢おり、銀行の経営に大きな影響を与えていることから、不履行者の名前のリストを各省庁に送って、リストに名前がある人物を官庁のすべての役職からはずし、行事に招待しないことを要請するための準備をしていた。記事によると、財務省は12日にこのリストを各省庁に送ることになっており、その直前に情報がリークしたことになる。ギリ副首相は同紙の取材に対して、「銀行からは何の連絡もない。自分には金を借りた覚えはない。会社が借りたのだろう」などと話している。記事からすると、ギリ副首相の名前がリストにあることはきちんとした確証に基づいた事実であることがわかる。だとすると、これは大変なスキャンダルである。彼自身がこんなお粗末な過去を抱えているのであれば、彼が政党政治家を批判するすべての言葉が宙に浮いてしまう。ギリ副首相には政党政治家を批判する資格も権利もないということになる。副首相がどんな反応をするか興味深い。
6月12日(日曜日)
「カンティプル」紙は今日の社説でギリ副首相に対して「辞任」を要求した。スクープをとったメディアとして当然の主張である。ところが、当人は「銀行のほうから何の連絡がない」ということを理由に、「何のために辞任をするのか」と記者団にうそぶいている。こんな政治家はどの国にもいるのかもしれないが、あまりの無責任さにあきれてものが言えない。ギリ副首相の記者会見での発言や、こうしたコメントを聞いていると、彼にとっての「国家」はイコール「国王」で、国民に対する愛情も責任も皆無なのではないかと思いたくなる。それほどに、彼の発言は傲慢で身の程知らずである。
昼から、「平和のための市民社会」が開催した知識人の討論会に行く。議題は先日、7政党が民主化運動の共通アジェンダとして決定した内容に関するものだ。政治学者のクリシュナ・カナル氏や人権活動家のガウリ・プラダン、スボド・ラジ・ピャクレル、カリヤン・デブ・バッタライらが出席し、7政党が公表した宣言文をもとに、1人ずつが意見を話す。興味深いことにほとんどの人が、「国会の復活」という7政党の要求に不満を持っていた。「国会を復活したあとに、何をするのか」に関して、政党が明確に示していないために信用できないというのである。私も全く同感である。ほとんどの知識人は、国王が選挙で選ばれた最後の首相であるシェル・バハドゥル・デウバ首相を解任した2002年10月8日の時点で、1990年に制定された憲法は「死んだ」という見方をしている。したがって、今度こそは国民の手で新憲法を制定するために制憲議会選挙を開催すべきだ。政党は、政権議会選挙開催を通じた新憲法制定をアジェンダに民主化運動を進めるべきだ、という意見の人がほとんどだった。クリシュナ・カナル氏の指摘がとくに非常に興味深かった。彼は7政党の宣言文を読むと、実はそのなかで「王制」に関して全くふれていないというのである。もう一つのスローガンである「完全な民主主義」についても、7政党それぞれ、あるいは各政治家ごとに解釈が異なる。したがって、国会が復活したところで、7政党の意見がまとまることはないというのだ。さらに、この宣言文を読むと、1990年制定の憲法を守ることをプライオリティをしているようにも解釈できる。ところが、実は現在、この憲法を最も必要とし、固守しようとしているのが国王と軍であるということに政党は気づいていないとカナル氏は指摘した。さらに、7政党は政府が行っていることを批判しているが、実は、「政府そのものが違法である」という事実をこそを取り上げるべきだとも話していた。カナル氏は以前から、制憲議会選挙開催を主張してきた学者だが、氏の指摘にはすべて説得力がある。制憲議会選挙開催の要求はもともとマオイストが掲げてきたものであることもあり、政党側はまだ思い切りがつかないようなところがある。宣言文のなかでも、「オプションの一つ」としてあげているだけである。しかし、現憲法が「127条」を除いて、すでに死んでいることは事実であり、「127条」さえも国王が勝手な解釈により悪用しているにすぎない。この事実を政党側はまず正面から認めるべきである。
夜になり、ポカラでジャナ・プリヤ・キャンパスの学長とそのガード2人の3人がマオイストに殺害されたというニュースが入った。殺害の理由は不明だが、この学長は以前からマオイストに脅迫されたいたという。ポカラでは、数日前に国民民主党の党員がやはり市内でマオイストに撃たれ、カトマンズの病院で死亡したばかりである。このところ、ポカラではこうした暗殺事件が市内でよく起こっているが、首都圏で活動が困難になったため、あるいは地方都市での活動を活発化させているのだろうか。
6月13日(月曜日)
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| 6月13日のネパールジャーナリスト連合のデモ | |
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| デモを出そうとしたところ、警官隊と衝突 |
午後4時半から、ネパール・ジャーナリスト連合がまた、カトマンズ市内の「デモ集会禁止域」でデモをする。今日はラトナ公園に集まることになっている。時間ちょうどになると、北側歩道に2〜300人ほどのジャーナリストが集まった。警官隊も待機している。バナーをもって、タラナス・ダハル前会長が演説をし、いざ、出発というときに警官隊が介入した。デモ隊は「ポリス・ダーマン・ムルダバード!(警官の暴力に反対する)」「報道の自由に勝利を!」などとスローガンを上げながらデモをしようとしたが、あちこちで警官隊と衝突し、待機していたバスとバンにジャーナリストが次々に入れられていく。カトマンズでも最も人手の多いところでもあり、今日は観客も大勢いる。20分ほど続いたあと、約50人のジャーナリストが逮捕されて連行された。しかし、今日はこれだけで終わらなかった。政変後に官憲に数度聴取を受けて話題になった「ブダワル」の編集長スールヤ・タパが「ボタヒティに行け」とささやいてきた。残ったジャーナリストで再度デモをするのだという。頭をそったダハル前会長や「カンティプル」紙のナラヤン・ワグレ編集長の長身な姿、「United We Blog!」のロゴのついた黒いTシャツを着たディネシュ・ワグレらの姿もある。デモはアサンからインドラチョークに向けて歩き、インドラチョークで簡単な演説をしたあと、また戻ってボタヒティで「散会」を宣言した。ラトナ公園では、作家のカゲンドラ・サングラウラ氏の姿もあった。「デモがあると聞くと、家にじっとしていられない」というサングラウラ氏も今日のデモをコラムの題材にするにちがいない。ジャーナリストたちの団結が頼もしかった。
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| 報道の自由を求めるスローガンをあげるジャーナリスト | 逮捕されてバスに入れられる |



