通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。
8月7日(日曜日)
昨夜遅く、知り合いのジャーナリストから電話があった。「明日、マクワンプルで市民グループによる平和デモがある。取材に行かないか」と言う。20日ほど前、カトマンズの東に接するマクワンプル郡とダディン郡の境界付近にある村で、村人がマオイストの蛮行に対する「報復」に立ち上がり、マオイストら何人かを殺害したというニュースが報道された。この事件に関連して、マオイストと「報復グループ」の両者による暴力に抗議して、市民が平和を求めるデモを行うのだという。平和デモよりも、当地で起こったことに興味があったため、急だったが同行に承諾の返事をした。この電話があった直後、今度はネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)の学生組織ANNFSUのリーダーから電話があった。1979年から現在までのANNFSU歴代会長を含む元・現学生リーダーが一堂に会して、6、7日と総会を開いているという。現在の政治危機のなかで、自党であるUMLと他の政党に対して行う提言決議をすることが目的である。いわば、ANNFSUの“同窓会”だが、この組織はUMLの現指導者層のなかで、若手指導者層の中核をなしているシャンカル・ポカレルやゴカルナ・ビスタ、ヨゲシュ・バッタライなど、優秀な活動家を産出している学生組織で、1990年の民主化運動のときにも最も組織的に運動を率いた。このANNFSU元学生評議会が行う提言は、7政党が進めている民主化運動の方向に重要な影響を与える可能性が高い。最終日である今日の夕方から、各界の有識者を招いた会合・夕食会があり、その席に招かれた。非常に興味があったが、マクワンプル行きを決めたあとである。「会に間に合うようにカトマンズに戻る」と答えて電話を切った。
昨日から降り始めた強い雨が、今朝も止まずに降り続いていた。土砂崩れで道路が遮断されるのでは、あるいはデモが中止されるのではという心配があったが、朝6時45分に集合場所に行く。約10人のジャーナリストが平和グループがアレンジしてくれたマイクロバスで一緒に行くことになっていると聞いたのだが、マイクロバスはすでに到着して待機していた。しかし、ネパール人が時間にルーズなのはジャーナリストも同様で、時間通りに来たのは私だけである。結局、全員が集まるまでに1時間以上かかり、出発したのは午前8時だった。マオイストのフィールド取材などでも、ネパール人のジャーナリストは、こうした‘グループ取材’を好むのだが、私は基本的に「取材は1人で」と決めている。今回、初めてこうした取材に参加したのだが、出発から遅れたため、よほどキャンセルして家に戻ろうかと思った。
カトマンズ盆地を出て、ナウビセに着くころには雨も止んだ。ここからヘタウダに抜ける旧街道のトリブバン・ハイウェーに入る。心配した土砂崩れは何箇所かで小さな規模で起こったのを見かけたが、交通に影響を与えるほどでもなく、11時半すぎには目的地のマクワンプル郡パルン・バザールに着いた。このバザールは、ダマンVDCに属する。ヒマラヤ山脈の眺望と、雪で有名なダマンはここから程近いところにある。午後3時にはここを出る予定であるため、デモが始まる前になるべく詳しい背景説明を聞いておこうと試みた。グループ取材とはいえ、私が誰かをつかまえて話しを聞こうとすると、すぐに他の記者が加わってくる。そのうち、われ先にと質問が始まり、こちらの聞きたいことを突っ込んで聞くことがほとんど不可能だ。これでは独自な情報を得ることもできない。それでも、どうにか何人かの人から聞いた話しをまとめると、事の経緯は以下の通りである。
ダディン郡南部からマクワンプル郡にかけての山岳地帯の高地にある村は、地味が悪く、野菜や穀物などの作物がほとんど育たない。マクワンプル郡側にあるアグラ村から来た人の話しによると、たいていの土地に育つトウモロコシも、「種を植えてから収穫するまでに13ヶ月かかる」という。そのため、この地域では以前から、大麻を植えて唯一の現金収入源としてきた。大麻の栽培が違法となった現在も状況は同じで、村人は大麻を栽培して、それを主にインド側の麻薬商人に売って現金収入としている。今年7月9日ごろ、この地域で、突然、マオイストが村人に大麻を刈らせるというキャンペーンを始めた。しかし、村人の何人かは彼らの指示に従わなかった。そのため、7月17日、ダディン郡側にあるキランチョーク村で、マオイストが大麻を刈らなかった82歳の老人と3日前に出産したばかりの女性を殴った。これが発端となり、キランチョーク村の一部の村人がマオイストを村から追い出すために、「1軒から1人、自分たちの報復グループに入って、マオイストを探し、殺す活動をしろ。さもなければ、自分はマオイストだと認めろ」と言い出した。そして、「村に来た外部の人間はすべてマオイストとみなす」として、自警団活動を始めた。
この6日後の23日、キランチョークのこのグループはククリや自家製銃(バルワ・バンドゥク)を手に、マクワンプル郡側にあるアグラ村ダンダバスに行き、村人にマオイストに対抗するために「報復グループを結成するよう」説得を始めた。さらにグループはこの日、アグラ村のダムガレにいたマオイストのグループに襲いかかり、この地域の党責任者だった20代前半の女性マオイスト「サマナ」の胸に発砲して殺害。さらにもう1人のマオイストを殺害した。この「報復グループ」は、こうして、合計7人を殺害。マオイストはこのうち5人だけが党員で、他の2人は一般人だったことを明らかにしている。さらに、グループはゴガニ村から4人を「マオイスト」として拘束し、治安部隊に引き渡したが、パルン・バザールにあるジャナ・カリヤン中学校のカルキ校長の話しによると、このうち一人はマオイストではなくてUMLの党員、もう一人は人民戦線ネパールの党員だという。「報復グループ」は24日、周辺の村人を集めてアグラ村で集会を開いた。そして、8月1日午後4時ごろ、約100人からなる「報復グループ」が、ダマン村ガルティコラのダムキ集落にまでやってきた。彼らは、「全員、外に出ろ。これから家宅捜査をする。あなたたちも、一軒から1人ずつわれわれのキャンペーンに参加しなければならない」と脅した。村人はグループの人たちがククリや銃をもって武装していたために怯え、翌日、集まって相談し、「暴力に対して暴力で報復するという考えは間違っている。報復グループには加わらない」という結論に達した。そして、3日、パルン・バザールの人たちとも話し合い、今日の平和ラリーをすることを決定した。
以上が簡単な経緯である。私が最も興味を抱いたのは、最初にキランチョーク村で「報復グループ」を結成した人が誰なのかということだった。しかし、これに関しては不思議なほどに情報がないのである。キランチョーク村の人に会うことができなかったこともあるが、聞いた人全員が「わからない」と答えた。アグラ村の村人何人かの話によると、「報復グループ」のメンバーはほとんどが「顔も見たことのない人」だが、キランチョークの人だったと思うという。パルン・バザールの人たちのなかには、「自分の商売に影響が出ると感じた大麻商人が、報復グループを結成したのだ」と話す人もいた。平和ラリーのあとにバザールで開かれた集会で、人民戦線ネパールのバララム・バラ郡会長は、「今ここで起こっていることは、(政府側)治安部隊が人々のあいだに恐怖心を植えつける目的で行っている陰謀だ」と、演説のなかで話した。バラ氏がこう話すと、聴衆から大喝采が起こったことから、同じように考えている人が大勢いるということがわかる。この発言の根拠について、演説のあとに直接バラ氏に聞いてみると、次のような答えが返ってきた。「7月15日に約50人からなる私服のグループがキランチョークに来て、10数人の村人に地雷のはずし方などを教えたと聞いた。このグループは、皆、そろえたように同じ型のククリを持っていたと村人が言っている。彼らは治安部隊である可能性が高い」。さらに、7月23日にアグラ村に軍の治安部隊のヘリコプターが行ったさい、報復グループの人たちが「マハラジディラージ・コ・ジャヤ!(国王陛下に勝利を!)」と叫んだという話しをした村人もいた。
今年に入ってから平野部のカピルバストゥ郡やナワルパラシ郡などで、村人が結成した「プラティカール・サムハ(報復グループ)」が大勢のマオイストやそのシンパを殺害する事件が頻発した。こうした現象について、アムネスティ・インターナショナルは8月3日、「マオイストの人民戦争により暴力にされされたネパール社会が、報復グループの発生により、さらなる暴力にさらされる結果になった」というレポートを公表し、マオイストと報復グループ、治安部隊といういくつもの武装勢力にはさまれた一般の人たちが、さらなる危険にさらされることを懸念している。
パルン・バザールでの平和ラリーには、途中、雨に見舞われたにもかかわらず、約千人の一般人が参加した。ラリーが終わったあとの集会では、人民戦線ネパールのリーダーを含む何人かが演説をした。同党郡会長のバラ氏とカトマンズから集会のために来た同党中央委員のガネシャム・シャルマ氏は、国王による絶対王制を厳しく批判する演説をした。UMLの地元党員1人以外に、他の政党のリーダーがいなかったせいか、参加者が一般人でも、人民戦線ネパールが組織したラリーと言う印象を受けた。昨年12月に西ネパールのダイレク郡郡庁所在地で、女性らが率いる反マオイストのデモを見たときには、マオイストに対する強い反発の感情を感じたが、今日のラリーはスローガンなしの沈黙デモだったせいか、今ひとつ村人の感情を感じ取ることができなかった。バザールの人に聞くと、そもそもこのパルン盆地には以前から警察詰め所があり、2年前から王室ネパール軍も駐屯するようになったために、マオイストの影響がまったくないという。マオイストに関連した出来事は、すべて、この小さな盆地を囲む山の向こう側で起こったことだという。しかし、この隔離された盆地の周囲を囲む山に武装マオイストがいると思うと、バザールの住人もやはり安心ではいられないのだろう。
集会が終わって、バザールを発つときには、予定を1時間すぎて午後4時になっていた。6時半すぎ、カトマンズに到着して、ANNFSUのプログラムの会場となっているエンジニアリング・キャンパスに駆けつけると、ちょうど、UMLのマダフ・クマール・ネパール総書記が演説をしているところだった。会場の前列には、UMLの厳しい批判者である作家のカゲンドラ・サングラウラ氏や人権活動家のパドマ・ラトナ・トゥラダル氏、ネパール弁護士連合のシャンブー・タパ会長らの顔が並ぶ。ANNFSUの元学生評議会は結局、自党のUMLに対して、「共和制」を党方針とする提言を決議して終わった。2月1日のクーデターにより、「ネパールでは王制と民主主義の両立は幻想に過ぎないということが明らかになった」と結論し、「国王と政党の和解」を求める外国政府などの声に対しても、「ここまできても、王制と民主主義に同等の重要性を置くことは、ネパールの国民と歴史を侮辱することである。外国勢力は、民主主義の側を支持する明確な態度を示してほしい」とアピールしている。ネパール総書記も、「共和制」への提言を「積極的に受け入れる」ことを演説のなかで明らかにした。一方で、8月末に党総会を控えているネパール会議派も、昨日、同党に近い知識人を集めて、「提言」を聞くプログラムを開いた。ここでもまた、元インド駐在大使で著名な政治学者であるロクラジ・バラル教授ら多くの出席者が、党則から「王制支持」の方針を除去すべきだという意見を明らかにした。「王制」に関しては、今度の党総会でまちがいなく最大の議論の的となる。ネパール会議派が「王制支持」を党方針から除去すると、ネパールの二大政党がともに「共和制」に対して窓を開くことになる。
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| アグラ村に報復グループが来てから、村を離れて非難生活をしているスミット・ラマさん(24歳) | パルン・バザールで開かれた平和ラリー。「平和に生活させろ」というバナーをもつ | ラリーのあとの集会 |


