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速報
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ネパール 非常事態宣言! 小倉清子の緊急手記 第33回(05/09/01)
 2月1日、ギャネンドラ国王が非常事態宣言を発し、全権を掌握したネパール。国際電話、インターネットなどの通信は遮断され、カトマンズ在住の小倉清子との連絡も途絶えた。2月8日、ようやく通信が復活。
 通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。



8月30日(火曜日)
「民主化運動のヒロイン」88歳のチャヤ・デビ・パラジュリさんもネパール会議派の党総会に参加。
この1週間、これからのネパールの政治の方向を決める大きな動きがあった。まず、最大政党の一つのネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)が2週間におよぶ中央委員会議の末に、28日、「ロクタントリック・ガナタントラ(民主的共和制)」を党方針、および民主化運動のスローガンとすることを決めて会議を終えた。次に、29日、もう一つの最大政党であるネパール会議派の中央委員会が、党則から「立憲君主制」の言葉を排除するとすることを決めた。この提案が今日から開かれる党総会で通過することは確実で、これにより、ネパール会議派は党結成から59年たつ歴史のなかで初めて、「王制支持」を捨てたことになる。ネパールの二大政党が党方針から「王制支持」を正式に捨てたことにより、7政党が進める民主化運動は共和制実現を求める方向に進む可能性が高くなった。

 両政党とも、党幹部クラスのなかには未だに「ネパールには国王が必要である」とする意見のリーダーがいなかったわけではない。ネパール会議派のコイララ党首自身、「共和制は支持しない」とする意向を中央委員会の直前に明らかにしている。しかし、それにもかかわらず同党が「王制支持を捨てる」という歴史的決定をせざるをえなかった背景には、党内からの王制に対する強い反発と、市民グループが政党に先立って、「民主的共和制」の要求をスローガンとする平和的運動を始めたことがある。一般国民の声に押された決定だったと言える。同党の中央委員会は結局、党則から「立憲君主制」という言葉をすべて排除して、この代わりに「社会的民主主義」を党則の柱とするという、ラムチャンドラ・パウデル元国会議長・副首相の提案書を採択した。これに反対したのは、頑固に王制支持を主張するサイラジャ・アチャルヤ女史だけだった。

 一方、29日夜、国営のネパールテレビを通じて、ギャネンドラ国王のインタビューが放送された。たまたま、この夜は外出しており、この番組を見る機会を逸してしまったが、今日の「カンティプル」紙が国営通信社からの引用でインタビューの内容を掲載していた。これを読むと、国王が強硬的な姿勢を崩すつもりが毛頭ないことがよくわかる。インタビューは西ネパールへの非公式訪問の最後に、国営メディアのネパールテレビとラジオ・ネパール、国営ニュース通信社を呼んで行われたものだ。そのなかで、国王が答えている。「ネパール国民がいるところには国王がいる。国王がいるところにはネパール国民がいる。それがネパールの王室の特徴だ」。一体、ネパール国民の何割がこの国王と同じ思いをもっているのだろう。また、今回の訪問で国民と接してどう感じたかという質問に対しては、「ネパール国民のあいだでやる気が強くなってきている。自信が強くなっている。国に対する思いが強くなっている」と話す。一体、どういう類のネパール国民と会っての反応なのだろう。そして、政党に関しては、「前にも話したことだが、彼ら(政党リーダー)はテロリズムに関して明確な立場をとるべきだ。(マオイストと)協力したり、対話をしたりするなどというのは駄目だ。・・・そして、効果的な行政、汚職に関しても、彼らは明確なスタンスをとるべきだ。いろいろな面で政治化しずぎている。・・・私は彼らと会わないとは言っていない。会うためには、(話し合いのもとになる)何らかの基盤がなければと言っているだけだ」。政党側がすでに「国王とは話し合う余地はなし」という姿勢を明らかにしている以上、こうした国王の言葉は宙に浮いて、何とも寄る辺のない非現実的な言葉にしか聞こえない。政党側が王制支持を捨てた以上、国王が歩み寄らないかぎり解決へのプロセスは始まらないと思うのだが、国王の発言にはその意志はまったくうかがえない。

党総会のステージに座るギリザ・プラサド・コイララ党首(中央)、マダフ・クマール・ネパールUML総書記(左)、インド国民会議派のアニル・シャストリ(右)
26日発売の週刊誌「サマヤ」が『見えない支配者たち』というタイトルの興味深い記事を掲載していた。この記事によると、国王が任命した現政府には、国家の重要事項に関する決定権がまったくなく、実際にこの国を動かしているのは、ナラヤンヒティ王宮内にある『影の内閣』であるというのである。つまり、現在のネパールには、シンガダルバルと王宮内に二つの内閣が存在し、シンガダルバルの内閣のほうは形だけの『表の内閣』で、実権をもって行政を行っているのは王宮内にある内閣のほうだというのだ。政党関係者の逮捕や釈放からマオイスト対策にいたるまで、この影の内閣が政策決定をしているという。影の内閣の‘筆頭閣僚’はサリヤンの元王族の末裔サラダ・チャンドラ・シャハなのだそうだ。シャハの名前は、2002年10月4日にギャネンドラ国王が当時のデウバ首相を解任して最初の‘クーデター’を決行して以来、常に国王が任命した政府の影で暗躍していると噂に上っていた。さらに、ジュッダ・シャムシェル・ラナの子孫であるプラブ・シャムシェル・ラナやサチット・シャムシェル・ラナ元軍参謀長、バラト・ケサル・シン元将軍が影の内閣の中心閣僚として君臨し、その下に国王の秘書官長を務めるパシュパティ・バクタ・マハルジャン(首相・外務・財務・司法・国家計画委員会担当)、元軍人のヨゲスワル・カルキ(情報通信・建設・土地改革管理省担当)、国王の軍事秘書官ガジェンドラ・リンブー(国防・内務・森林省担当)、国王秘書官のサガル・ティミルシナ(教育、産業商業、法務・農業、水源、文化観光、科学技術、地方開発省などの担当)が各省を分担して担当しているのだという。メンバーを見ると、半分以上が王室ネパール軍の出身だ。さらに、この記事によると、毎日1回、マハルジャン秘書官長のもとで関連省庁の次官を集めた会議が開かれ、週に1回、各次官は国王と直接会見して自分の省に関する説明をするのだという。「表の内閣」の閣僚は、どんな重要事項に関してもみずから決定を下すことはできず、「影の内閣」の担当閣僚の支持に従わなければならない。サラダ・チャンドラ・シャハ、サチット・シャムシェル・ラナ、バラト・ケサル・シン、これら国王の最側近はいずれも、絶対王政を‘絶対的に’支持する超ハードライナーだ。国王が強硬姿勢を崩さないわけだ。それにしても、「サマヤ」はよくこの記事を掲載した。

 ネパール会議派の党総会開会式は午後2時に、ラリトプル市の動物園前にある運動場で開かれた。当初、ビレンドラ国際会議場にお金を払って使用を申し込んだが、政府が介入して使用を断られ、さらに、パタンの旧王宮前広場を使おうとしたが、それも断られたらしい。青空天井の会場で天気が心配されたが、幸い天候には恵まれた。かなり強い日差しの下に、約1500人におよぶ総会メンバーや党支持者が集まった。式が始まる午後2時前に、壇上にはすでに多くのリーダーが到着し、白い布が敷かれたステージに座って待っている。コイララ党首が着いたのは予定の時間の15分すぎだった。派手な歓迎の仕方は、まるで、“国王”を迎えるかのようだ。共に民主化運動を進める政党や国民民主党、国民シャクティ党の党首、そしてインドから招待された政治家数人もステージに座って並んでいる。インドからは、インド国民会議派やインド共産党(マルキスト)からの中堅クラスのリーダーが出席した。1990年1月に、タメルにある故ガネシュマン・シンの家で、当時は非合法だった政党のリーダーやインドからの政治家が集まって3日間の集会が開かれた。最後の日に「同年2月18日から複数政党制復活を求める民主化運動を始める」ことを宣言したのだが、この集会にはチャンドラ・シェカール元インド首相ら、今日よりも豪華な顔ぶれが並んだことが思い出される。

 まず、他政党の党首らが「お祝いの演説」をする。一番短くて、一番大きな拍手が沸いたのが人民戦線ネパールのアミク・シェルチャン党首の演説だった。シェルチャンが、冒頭で昨日の国王の発言を言い換えて「武器があるところには国王がいる。国王がいるところには武器がある。制圧があるところには国王がいる。国王がいるところには制圧がる」と話すと、会場から大きな拍手が沸きおこった。そして、「国民は制憲議会から民主的共和制の方向に向かうことを望んでいる。コイララ党首もそれをわかっていると信じている」と、コイララ党首の反共和制発言に釘を刺すと、さらに拍手が沸いた。インドの政治家の演説はほとんどがヒンドゥー語だったために、途切れ途切れにしか意味がわからなかったが、「ロクタントラ(国民による民主主義)」という言葉を頻発し、「インド国民もネパールの民主化運動を支持する」とほとんどの政治家が話していることは理解できた。ネパール会議派で演説をしたのはコイララ党首だけだった。コイララ党首は、スールヤ・バハドゥル・タパ元首相を通じて、「国王が9月の国連総会から帰国したあとに国会を復活する」という王室からのメッセージを受け取ったあとに、反国王のスタンスを緩め、問題となった「共和制は支持しない」という発言をしたのだと言われていた。民主化運動を進める7政党のなかのある党首の話しによると、この噂は本当らしい。実は、似たようなことが2003年の9月にもあった。当時、ネパール会議派を含めた5政党は、やはり国会の復活を求める街頭運動を進めていたのだが、イギリスに外遊していた国王が「帰国したあとに国会を復活する」というメッセージをインド大使とアメリカ大使が、コイララ党首とネパール共産党統一マルキスト・レーニニストのネパール総書記に伝え、これを信じた2人のリーダーは街頭運動を延期した。しかし、結局、国王はこの約束を守らなかった。このときの裏切りについては、コイララ党首はすでに公の場で暴露している。コイララ党首が今回も王室からのメッセージを信じたのだとしたら、これはもう「愚か」としかいいようがない。そのため、今日の演説でコイララ党首がどういう発言をするのか注目された。コイララ党首は、昨日、中央委員会が党則から「王制」を除去する決定をしたことに触れてこう言った。「国王自身が憲法を変えて、立憲君主制を捨てて絶対王政を布いた。したがって、われわれも党則を変えて立憲君主制を除去するという歴史的な決定をしたのだ。われわれが求める完全な民主主義というのは、共和制とのボーダーラインにある。このボーダーラインというのはセレモニアルな国王(儀式的な国王)のことだ。このボーダーラインを超えるか否か(共和制に行くか否か)は国民が決めることである」。またしても、「ボーダーライン」の話しである。「共和制を出すのは、国王に対するバーゲニング・チップにすぎない」というコイララ党首の言い分はどうやら変わっていない。ネパール共産党統一マルキスト・レーニニストは明確に「民主的共和制」を打ち出したが、コイララ党首はまだ、思い切りの悪い発言を繰り返している。党内民主化に関しては、結局、党則を変えずに、党幹事長や中央委員の半分は党首が任命することになった。党内で共和制支持を明確に打ち出しているナラハリ・アチャルヤが党首選挙に立候補することを明らかにしたものの、コイララ党首の再選は確実と見られている。ネパール会議派の「国王」ギリザ・プラサド・コイララが、これまでと同様に側近を親類縁者や彼に忠実なリーダーのみで固めるようなことをしたら、この政党は「民主化を求める非民主的な政党」のままで終わる。これはコイララ党首だけの責任ではなくて、彼の独裁を許す党員の責任でもある。

 
ステージに座るリーダーたち。後ろのバナーの中央にコイララ党首の兄にあたるB.P.コイララ、ガネシュ・マン・シン(左)などのリーダーが描かれている。   中央委員会でただ1人「王制支持」を主張したサイラジャ・アチャルヤ女史・元副首相と国民シャクティ党党首のスールヤ・バハドゥル・タパ元首相

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