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速報
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ネパール 非常事態宣言! 小倉清子の緊急手記 第36回(05/09/07)

 2月1日、ギャネンドラ国王が非常事態宣言を発し、全権を掌握したネパール。国際電話、インターネットなどの通信は遮断され、カトマンズ在住の小倉清子との連絡も途絶えた。2月8日、ようやく通信が復活。
 通信の切断、治安部隊の出動、反国王派の監禁・拘束など、混迷続くネパールからの現地リポート。



9月6日(火曜日)
 日刊紙「カンティプル」が、ギャネンドラ国王の国連訪問中止のスクープ記事を掲載した。国王率いる代表団のためにチャーターした飛行機をキャンセルしたのだという。代表団は1億ルピーを超える国家予算を使って、ドイツ、ニューヨークを訪問することになっていた。国王の代わりにラメシュ・ナス・パンデ外相が代表団を率いることになったらしい。実は、国王が国連サミットに出席することは、正式には発表されていなかった。しかし、非公式情報として国連サミットで国王がネパールを代表して演説することが大分前からメディアで取り上げられており、政党や市民グループから、これを批判する声があがっていた。王室は国連サミットを、外交の場として利用するつもりでいたのだろうが、ネパール駐在のモリアティ米大使が「ブッシュ大統領がギャネンドラ国王と会見することはない」と発言するなど、外国要人との会見が実現しない可能性が高まり、あるいは、王室の面子を保つためにキャンセルしたのかもしれない。

Dr.シャシャンカ・コイララの叔父で、ネパール会議派の党首ギリザ・プラサド・コイララ。その上に見えるバナーの画はシャシャンカの父で、ネパール会議派創始者、さらに、ネパールで最初の選挙で選ばれた首相になった故ビセスワル・プラサド・コイララ
 午前中、Dr.シャシャンカ・コイララに会うことができた。今年49歳になるコイララは、2年前まではティーチング病院の眼科医だった。ネパールで最も有名な政治家である故ビセスワル・プラサド・コイララの末息子、ネパール会議派の‘国王’ギリザ・プラサド・コイララ党首の甥、ヒンドゥー映画の有名女優マニサ・コイララの叔父にあたるシャシャンカ・コイララは、政界に入ってわずか2年で、先週開かれた党総会の中央委員メンバー選挙に立候補し、スシル・コイララ前幹事長、ラム・チャンドラ・パウデル元国会議長・副首相に次ぐ3番目の票を獲得して、新メンバーとなった。政界経験の短さからすると、異例の速さで党幹部に選ばれたことになる。ネパール会議派内の友人らから、かねがね「シャシャンカ・コイララはこれまでのコイララ・ファミリーの政治家とは全く異なるタイプの政治家だ」と聞いていた。10年ほど前、ティーチング病院の勤務医をされていたときに、1990年の民主化運動の本の取材で会ったことがあるものの、それ以後、直接会って話しをしたことはなかった。‘政界のサラブレッド’が政治家としてどれだけ資質がある人物なのか、一度会って話してみたいと思っていた。

 先週、3度目の党首に選ばれたギリザ・プラサド・コイララはカトマンズに家をもたず、兄にあたる故ビセスワル・プラサド・コイララ(通称‘B.P.コイララ’)の末息子Dr.シャシャンカ・コイララの家に同居している。コイララ党首は家にいるときには、早朝から大勢の党員に会うのが日課と聞いていた。そのため、マハラジガンジにある彼の家には大勢の党員が集まっているだろうと予測して行ったのだが、1階を入ってすぐの待合室には2,3人しかいなかった。コイララ党首は2日前のデモで意識を失ってからあまり具合が良くないらしく、今日は面会謝絶で休養をとっているという。コイララ・ファミリーに特徴的な長身でスリムな体系をもつシャシャンカ・コイララに、まず、医師という職業を捨てて政界に入った理由を聞いた。

コイララ;「17年間医師として働いて、職業的にはある程度貢献できたと考えた。2年前、ネパールで紛争(マオイストのこと)が深まるなかで、やはり政治的・社会的に貢献したいと思ったのです」

 そして、シャシャンカ・コイララは3人の首相の父となった、コイララ・ファミリーの創始者ともいえる祖父のクリシュナ・プラサド・コイララのエピソードにふれた。

コイララ;「祖父はビラトナガルでは大変裕福でした。当時の首相チャンドラ・シャムシェル・ラナは祖父をスッバ(秘書官)に任命したのですが、祖父はラナ家による独裁体制が気に入らず、破れたダウラ・スルワルを首相に送りつけて“ネパール国民の現実を直視しろ”というメッセージを伝えようとしました」

 反体制の姿勢は血筋とも言えるが、コイララ家のメンバーには国王派に寝返った人もいる。シャシャンカ・コイララの伯父、つまり、B.P.コイララとギリザ・プラサド・コイララの兄にあたる故マトリカ・プラサド・コイララがまず、1950年代にトリブバン国王に首相に任命されたあとネパール会議派を離党して国王派となっている。最近では、シャシャンカ・コイララの兄で女優マニサ・コイララの父にあたるプラカシュ・コイララが、2月1日政変後、ギャネンドラ国王の動きを支持する発言をしてネパール会議派を除名され、先日の内閣拡大のときに大臣に任命された。女優のマニサ・コイララも、ネパールに戻った際、何度か国王支持の発言をして注目された。ネパール会議派は先週の党総会で、党綱領から「立憲君主制」を除去するという歴史的な決定をしたが、「共和制」に関しては沈黙を保っている。ネパール共産党統一マルキスト・レーニニスト(UML)の中央委員会が「民主的共和制」を党方針とすることをはっきりと決めたのと対照的である。では、シャシャンカ・コイララ自身は王制に関して、どう考えているのだろう。

コイララ;「共和制になると、マオイストが前面に出てくる可能性が高い。それは受け入れられないことです。国王が象徴的な存在として残る王制がネパールにとってベストな状況だと思う。したがって、国王にできるだけ強い圧力をかけて、国会を復活させ、国会が作った政府がマオイストと対話をするとともに、国会の場で新憲法を作るための制憲議会を実施するか否かを議論すべきです。マオイストが武装解除しない状況では、制憲議会のための選挙も実施は不可能。選挙の際に国連平和維持軍を発動させるという方法もあるが、インドが果たして第三者の介入を受け入れるかどうか疑問です」

 今回の党総会でも、83歳のコイララ党首が再選し、党内民主化が図れなかったことについて、党内外からの批判が出ているが、今後、どうやって党新生を試みるのかについてはこう語った。

コイララ;「父のB.P.コイララが亡くなる前、自ら党首を辞任してクリシュナ・プラサド・バッタライに党首の席を譲ったときに、バッタライと故ガネシュ・マン・シン、そしてギリザ・プラサド・コイララに対して“3人で党をまとめなさい。さもなければ、党は弱体化する”と話したことがある。今もそのときと同じ状況です。ギリザ・バブの次の世代であるシャイラジャ・アチャルヤ、スシル・コイララ、そして、ラム・チャンドラ・パウデルが3人でまとまらなければならないし、その次の世代であるわれわれは、そのための圧力をかけないといけない」

シャシャンカ・コイララ(49歳)。自宅にて。
 第二世代の3人のリーダーのうち、ラム・チャンドラ・パウデルを除く2人は、実はコイララ・ファミリーのメンバーである。このうち、シャイラジャ・アチャルヤ女史(元副首相)は党総会で「立憲君主制」を党綱領から除いたことを理由に、選挙で当選が確定した翌日、中央委員から辞任している。辞任の本当の理由は、党首の任命で決まる副党首の席のためのバーゲニングだとか、コイララ党首の1人娘スジャータ・コイララよりも少ない票数で中央委員選挙の当選したからだなどと言われている。スジャータ・コイララもシャシャンカと同様、今回初めて中央委員に立候補して当選した。

 ネパール会議派がここまできてもコイララ独裁体制を崩せず、党内民主化を進められないのは、コイララ党首を超える強いリーダーがいないからだ。民主化後の政治家で、一番長く首相を務めたせいであることもあるが、ネパールに現存する政治家のなかで、ギリザ・プラサド・コイララ党首ほど国民に激しく嫌われ、党内で強い支持層をもつ政治家はいない。自身の好き嫌いの激しさが態度に表れるせいか、コイララ党首によるハラスメントを受けて党を去った政治家も少なくない。1990年民主化運動の最高指導者だった故ガネシュ・マン・シンしかり、民主化後最初の国会議長を務めたダマン・ナス・ドゥンガナしかり、2002年には当時のシェル・バハドゥル・デウバ首相率いる党内の「反コイララ派」が謀反をして新党を結成するまでに至っている。一方で、コイララ党首を支持する人はほとんど盲目的に「党首はギリザ・バブ以外にいない」と、彼を支持する。支持者とそうでない人のあいだの、この極端な違いは一体どこから出てくるのだろう。おそらく、コイララ党首自身の性格のなかに、その答えがあるのだろう。

 さて、そのコイララ党首と同居するシャシャンカ・コイララだが、確かに、ネパール会議派の他の政治家と異なり、非常にはっきりとした物言いをし、しかも、考えがこりかたまっておらず、フレキシブルな印象をもった。叔父のコイララ党首のような‘メディア嫌い’な態度は皆無で、非常にサックバランに話しができる。確かに、聞いていたとおり、新しいタイプの政治家に育つかもしれない。彼自身、硬直した党組織には大いに不満があり、党改革の必要性があるという。

コイララ;「党の傘下にある組織の役割がはっきりとしていない。たとえば、B.P.コイララが作った青年組織のタルン・ダルは、当初、武装闘争をする目的で結成された。民主化以降、その役割は明確でなくなっています。学生組織のNSUも大きな変革が必要です。彼らには独立性を与えるべきで、会長選挙に党が介入したりなどしてはいけない。党組織についても、民主化後、草の根レベルの組織強化をする目的で、村、wadaなど、さまざまなレベルの委員会を作ったが、これが選挙のときに動くだけで、普段はまったく活動していません。これでは、党の組織強化などできるはずもない」

 また、現在進行中の7政党の民主化運動は、一部市民グループが立ち上がったものの、まだまだ政党に対する一般国民の不信はぬぐいきれておらず、広まりを見せることができずにいる。今後、運動をどう展開するつもりなのか。

コイララ;「政党は市民グループや各種職業連合などと手を組んで、たとえば、カトマンズで5万人規模の平和的デモをすることができたら、一般市民に強いメッセージを与えることができるはずです。そして、一旦、一般市民が街頭に出てきたら、運動は急展開することになると信じています」

 長年、医師としていろいろな人に接してきたことが大きな利点となっているのだろう。コイララ・ファミリー出身という知名度と毛並みの良さに加えて、会う人ほとんどに好印象を与える人柄は、政治家として大きな武器になるはずだ。政治家としての経験の浅さと、地方の状況に疎いという欠点はあるが、本人は今後、地方行脚を積極的にして、党組織の改革に手をつけたいと話す。あるいは、シャシャンカ・コイララはコイララ党首の最大の跡継ぎ候補になるかもしれない。

 



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